暴力団組長が握る 生殺与奪権の馬鹿らしさ

  暴力団社会の恥部を知らない人が多いと思い 自分が命を賭けて来たヤクザ社会に対して つまらん思いで 俺は又ペンを執った。

 

 云っておくが、俺は他の元ヤクザと違い 警察の保護対象者として生活している訳ではない。

 ガチンコで、暴力団の更生を促す立場として 正々堂々と活動しているのだ。

 

 こんな俺の向こう見ずな性格が たまらなく好きだと云う人は案外多い。

 俺は打算的な計算をして人と付き合わないからだ。

 

 今回も又、俺の知っている範囲で ヤクザと その周辺者の関係を書いてみたいと思う。

 

 これは暴力団対策課の新人刑事、防犯協会 それに暴追センターの役人たちも非常に興味を持って この文を読んでいると思う。

 

 今は 暴力団とお茶を飲んでいるのを一般人がスマートフォンで撮影した写真を 関係官庁に送られると、暴力団の密接交際者と警察に認定される。

 そうなると会社関係の人間は、暴力団の周辺者として見られ、マイナス面ばかりが特筆される。

 

 堅気の人間に迷惑をかけない為に、都会のヤクザは県内を離れて地方で その人達と会っているのが現状だ。

 

 暴力団と交際するのは 現在の社会情勢を鑑みると 社会悪と見なされ、何かに付け行政から制限を受ける。

 

 堅気の人間も、今の暴力団は国家の威信を賭けた取り締まりの対象とされるので、余程の人でない限り 暴力団との交際は求めないだろう・・・

 

 暴力団も金を運んでくれる旦那衆を大事にするが、それ以外の者とは付き合うメリットもなく、暴力団員と一般市民との交際は 今やほとんどが雲散した筈だ。

 

 そう云う面では 暴力団と堅気の接点は、淡白になって来た。

 これが新時代の夜明け前の静寂と云ったものだろう・・・

 

 現代のように、暴力団排除の気運が高まったのには訳がある。

 

 仁侠道の原点である「男心に男が惚れて」と云うのが無くなり、ただ単に数合わせの振り分けで 親分・子分の盃を決めて来たからだ。

 

 ハッキリ云うと これは中野会問題の時からで、これで五代目組長・渡辺芳則は失脚への道を突き進んだ。

 中野会を、山健組の有利なように 解体させたからだ。

 

 ヤクザ組織と云うのは、本来離合集散を繰り返すものである。

 その中で 自分が惚れた親方の盃を受け、子分になるのが本筋になれる最低条件だと俺は思う。

 でないと、面従腹背になってしまう・・・

 

 尊敬も出来ないヤクザの子分になれと云われて「ハイ」と答えるヤクザもヤクザで、信念を持ったヤクザなら、自分が認めない男の盃など絶対に呑まない。

 

 それこそ津田耕治の河内遊侠伝の歌詞ではないが「乞食したって この魂は汚すもんかえ」である。

 

 俺の云う事が理解出来るヤクザが居たら、今からでも遅くない、さっさと堅気になる事だ。

 それで「俺の兄貴は生駒の山さ」と河内遊侠伝風に、男一匹で 男の道を生きて行けば良いのだ。


 徒党を組んでの 集団で弱い者いじめをする時代は、もう終わったのである。

 

 こんな時節を考えて、将来に憂いを残さない生き様をして貰いたいと思い、俺は毎週拙いペンを執っている。

 

 写真は、世の中の誰もした事がない 親分・竹中正久の戒名と志しを右腕に彫ったものだ。

 これが 俺の64歳からの決断の証しだ。