お城祭りと云えば 過去65年間毎年8月に行なわれて来たのだが、今年から日程が変わり5月2日のゴールデンウィークから執り行われるようになった。
そのお城祭りのメインである3日の市民パレードで俺は、ボランティア活動の一環として大名行列に喜代姫の輿担ぎ役として町奴(やっこ)で出演した。
娘の一花は、押武士としてパレードに参加した。
昨年のゆかた祭りにも親子で参加したので、この時は読売新聞のインタビューを 三の丸広場で受けた。
今年はNPO法人を設立して、二回目の市民祭りへの参加である。
写真は 娘の一花とツーショットのお城祭りでの一葉だ。
さて 祭りの話しは これぐらいで置き、他のニュース報道に譲りたいと思う。
ケーブルテレビは我が家も視聴しているが、姫路のイベント番組を視るには良いチャンネルだと思う・・・
先の姫路市長選挙に絡む話だが、ピタットハウスの協力会社 中村コーポこと中村産業と小山顕治の関係だが、二人は初代村正会当時からの知り合いで、疋田春男を通じて地上げをしたり 競売物件を買ったりして、姫路では村正会(疋田組)系列の企業舎弟として名が通っている。
今の暴力団排除条例で行けば、中村産業は バリバリの周辺者だ。
俺所の塩町に在った組事務所の地上げだが、このピタットハウスは最初は絡んでなかったのだが どういう訳か途中で絡んで来た。
だから俺は 血の滲む思いで京都刑務所から 古川真澄に裁判の流れと小山たちの関係を手紙に書き、俺所の嫁を通じて古川に届けさせた。
もちろん証拠集めは丹念にした。
その俺の手紙を古川が読んで 疋田春男を尼崎の古川組・本部事務所へ呼んだのは云うまでもない。
その時、古川が強い口調で疋田を問い詰めたところ、疋田は小山を庇って「小山は義竜の地上げには関係ないと本人が自分(疋田)の前でハッキリ断言した」と云ったそうである。
しかし俺が今でも不可解なのは、ピタットハウスに 俺が屋上の借り入れを申し込んでも 俺の話しに一切耳を貸さないのだ。
普通 不動産の賃貸業をしている者なら、身元のしっかりした人間になら 部屋のひとつやふたつ貸すのが常識だ。
でも どう云う訳か、生活保護を受給している者には 誰かれ構わず貸している。
忍町の中村コーポ(現ピタットハウス)は、前科者や元ヤクザの生活保護者が特に多いと聞く。
余談だが、小山顕治が 明渡し訴訟を起こしても 俺所に勝てると踏んだ理由は何か、後に判明したのだ。
・・・小山が この訴訟を起こした時は 中野会が山口組を絶縁になった頃で、宅見勝・山口組若頭を射殺した後だったので 各地で中野会系列に報復事件が勃発していた・・・
和歌山の小宮鉄二率いる小宮組も、俺が率いた義竜会と同じ条件で 組事務所を賃借していたのだが、その組事務所を狙って爆破事件が起き それが原因で、小宮組の組事務所は明渡し請求裁判に無条件で負け 事務所を強制退去させられた。
この民事訴訟に背中を押されるような形で気分を良くした小山顕治は、俺が率いる義竜会の自宅兼組事務所を 元警察官で当時不動産屋をしていた田口と組んで 地上げに掛かった。
本来ヤクザがヤクザの組事務所や、嫁の名義で借りている自宅を 出て行けと訴訟を起こすのは山口組では御法度の筈で、姫路のヤクザは皆 小山と元警察官で不動産屋の田口のことを陰で 外道だと笑っていた。
その分だけ俺は この小山には何とも云えない気分にさせられた。
だから俺が堅気になって暫くしてから 小山と運良く魚町で会って 俺がかなり強い口調で小山を責めたのだが、その時 小山は俺の事を尊敬していると云って逃げた。
この事は以前ブログに書いたので ここでは省く。
こんなヤクザのイロハが分からない人間が、五代目山口組の保守本流と云われた三代目山健組の最高幹部をしていたのだから 金の力というのは怖いものだ。
因みに俺所の義竜会本部事務所は、結成以来 一度も拳銃(チャカ)でカチコミをされた事がない。
これは俺の器量と、俺の若い者へ カチコミされたらカミカゼ特攻隊のように行けと云う、竹中正久や中野太郎の教えが 俺を通して浸透していたからだ。
三代目村正会の者で、堅気になりたい者は いつでも俺の所に相談に来れば良い。
可能な限り、期待に添えるようにしたいと思っている。
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昔は魚町の梶芽衣子と呼ばれてました。 (火曜日, 19 5月 2015 22:32)
親分久しぶりです。親分さんに、こんな小さな女の子が居たのには驚きました。名前は、一花ちゃんというのですね。可愛い名前です。大事に愛しく育てて下さいね。竹垣家の益々のご発展を祈念して失礼します。
元疋田組 須藤 (月曜日, 25 5月 2015 06:45)
竹垣会長ご無沙汰しています。
我々に何かと縁のあった中村産業ですが、中地にあった疋田組事務所を地上げしたのは、香野勝秋が中心になってしました。
事務所を地上げして、その裏の、
すでに地上げしていた土地に分譲住宅を作ったのです。
こな事で付近の住民には、喜ばれたそうです。
会長が指摘するように、中村産業は、疋田組のフロント企業には
間違いありません。
この中地の事務所を売った疋田組は、塩町の中村産業のビルに事務所を移転しました。
後日譚ですが、このビルの三階を借りて 中国エステをしていた 西沢と喧嘩して、疋田組の若い者二人と組長の疋田に殴られたそうです。 このエステは、村正会が面倒見ていたのですが、何故か殴られた中国人の前で二代目の小山会長は、なぜかペコペコだったそうです。殴られた西沢が、泣いていました。
この話には後日譚があり、この西沢は魚町の端にある昔、黒澤のビルだった三誠のビルを小山会長の紹介で借りて現在も中国エステを
しています。
竹垣会長、こんな裏話を知ってはりますか?
自分は懲役を帰ってから直ぐに、竹垣会長に電話して更生活動を手伝いたい旨、話したはずです。
あの時は、酔っていたので日を改めて連絡してこいといわれましたが、そろそろ連絡しても宜しいか?
自分はもうヤクザに戻る気はありません。だから若い者共々面倒見ていただけたらと思います。
宜しくお願い致します。
疋田組 須藤 (月曜日, 25 5月 2015 06:49)
言い忘れましたが、疋田の親父は立派な男です。
竹垣会長にも好意を持っているのは確かです。