竹垣悟・暴力団のタブーに挑む

 姫路のヤクザ組織にも、ピンからキリまである。

 

 昭和の終わりに竹中組が山口組を出て 壊滅状態になってから平成に入り、俺の率いる義竜会は 姫路の竹中組の残党を四分の一近く受け入れ 組員も150人程になり、一時は姫路最強・最大組織だと云われていた。

 

 その 俺の率いた義竜会も、俺が事件を起こし 懲役に行く度に三代目山健組若頭補佐をしていた小山顕治率いる二代目村正会が力を付けて行った・・・

 

 この村正会の二代目・小山顕治という男は ヤクザではなく 人に云わせると商売人で「仁義なき戦い」に出て来る共政会々長・山村辰夫がモデルかと思うぐらい 何から何まで良く似ている。

 

 近年 暴力団がマンションや事務所を借りれなくなったのは、この小山顕治が 俺が借りていた自宅兼組事務所を地上げした事に端を発する。

 

 この小山率いる村正会と 俺が率いる義竜会は上部団体が三代目山健組であり 中野会だった関係もあり、或る面ライバルだった。

 

 そのライバルである俺が率いる義竜会を蹴落として、姫路で最大・最強組織になろうとしたのが 小山の運の尽きである。

 

 極道としてより商売人として商才に長けた小山顕治は、この件で姫路の極道の笑い者になった。

 

 よりによって同じ山口組系列の俺の組事務所を 俺が執行停止が取れ 服役するのを見計らって地上げしたからである。

 

 俺が自宅兼組事務所の明渡し請求事件を提訴された時は 大石組内牧組の若い者・青木某を殴って 余罪で姫路警察署に引き戻され留置所の中に居た。

 

 俺が借りていたビルは 元本多会系小川会々長が家主で、小川春男会長が死んだ後は 息子さんが家主だった。


 ・・・こんな義理も仁義もない小山の為に 日本の暴力団は組事務所を借りれなくなったばかりか、ヤクザというだけで住む家も借りれなくなったのである。

 

 俺が、この懲役から帰って来て2~3日して丁度 姫路駅の構内で小山にバッタリ会った。

  この時 小山は韓国の女と二人っきりだったので、俺は小山の側に行き 問答無用で殴ってやろうと思った。 

 しかし小山は その空気を察知したのか 俺の顔を見るなり「毎度 毎度」と商人( あ

きんど)のように話しかけて来た・・・

 

 そして「会長(俺のことである)懲役から いつ帰りましたんや」と云い「また放免祝いの日が決まったら連絡して下さい」とまで云うので、そこは武士の情けで自分の感情を抑えた。

 

 以前のブログでも述べたが、小山は俺の入居していたビルの地上げを 俺が刑務所に行くのを見計らってしたので、俺は許せなかったのだ。

 

 結局 小山は最後まで地上げには関係ないと云い張ったが、そんな嘘を平気でつく男だった。

 

 このビルの持ち主は 現在「ピタットハウス」であり、現在は 中村産業の協力会社である。

 

 その中村産業の先代社長と 山健組内疋田組々長・疋田春男との仲は有名で 暴力団の周辺者として姫路では知らぬ者がない程の人物である。

 

 この前の統一地方選挙では、石見利勝市長の対抗馬として出た北野実候補をピタットハウスが大々的に応援していた。

 

 紙面の都合で この話しの続きはいずれまたの機会にする。

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コメント: 5
  • #1

    比嘉崇 (月曜日, 11 5月 2015 14:50)

    毎週楽しみにしております。 これからも更新よろしくお願いいたします。姫路に行くときは事務所に、顔出したいとおもいます。

  • #2

    アカシカハウス 赤鹿竜夫グループ (月曜日, 11 5月 2015 23:23)


    石見利勝市長には、選挙では負けたが、五仁會に負たけた訳ではない。
    いま竹垣悟邸の真裏で、マンションを建設中だが、選挙が終わってから大きな音をさせているが、それに対して何も文句を言わないのは、なぜか知りたい。

  • #3

    大西 (火曜日, 12 5月 2015 14:34)

    お久しぶりです。
    会長のブログも久しぶりに読ませていただきました。
    お電話を頂いて以来ですが姫路にもバタバタしてて近いうちに行きたいと思っています。
    お身体に気を付けて下さい。

  • #4

    立垣龍治の葬式についてお尋ねします。 石井 (水曜日, 13 5月 2015 01:47)

    立垣龍治 は、死にました。
    疋田組を怨んで死にました。
    結局兄貴はシャブをようやめなかったから、早死にしたと思います。
    心の弱い人間でしたが、竹垣悟会長にあこがれ人情に溢れたこころの持ち主でした。立垣龍ニは竹垣悟会長の舎弟だったはずです、その盃の時は自分も、桑野元大阪拘置所の刑務官も小畑典紀先輩も立会人で出席しておりましたね。
    なぜ竹垣悟会長程の人が、立垣龍二の葬式出席しなかったのか、自分は是非知りたいですね。
    それに小畑典樹先輩もいました。
    その舎弟の葬式に竹垣悟会長は

    なぜ出席してくれなかったのですか?
    自分は、会長程の人が来なかった事にショックを受けております。
    出来たら理由を知りたいです。

  • #5

    五仁會 代表 竹垣悟 (月曜日, 18 5月 2015 14:10)

    立垣龍治の葬儀に就いて俺なりの意見を述べる。
    龍治の、通夜が終わって その日の10時過ぎに安楽院に駆けつけたのだが、受け付け付近に数人いたので、俺は来る場所を間違ったと思った。
    純粋な堅気の葬儀には、到底見えなかったからだ。
    石井も、他の出席者も皆んな知っての通り 龍治と俺は、堅気として師弟盃を交わした筈だ。
    あのとき龍治が実父に電話して、俺に代わった時は、龍治の実父に堅気として良い方向へ導いて行って欲しいと言う様な事を頼まれたのは、事実だが、実際 龍治は半ぐれ集団を結成したので、俺所の谷口や上山、それに長谷川、栃尾 山根達に、通夜も葬儀にも行くなと言った・…
    そして落ち着いたら仏前に、手を合わせに行くように言った。
    今、五仁會が半ぐれ集団を手の内に入れられないからだ。
    五仁會に何人かの人間が魂を賭けているのに、
    半ぐれの葬儀に自己満足だけで、代表である俺が行かせるわけには行かなかった と言うのが本音です。
    俺は、今の立場を考えて心を鬼にしました。
    龍治が死んだと聞いた時は、何故か 人生劇場の一節が頭に浮かび、なぜか涙が流れました。
    …男心は男でなけりゃ分かるものかと諦めた。
    龍治 葬儀に行かなかった俺を笑ってくれ。
    俺たちは、半ぐれ集団を作る為に 五仁會を結成したのじゃない。
    龍治 安らかに眠って下さい 合掌