ヤクザ記者の臨場感

写真は東映映画でヤクザに扮した内田良平と竹垣悟
写真は東映映画でヤクザに扮した内田良平と竹垣悟

 週刊誌のヤクザ記事を読むと いつも感心するのだが、記者の足跡が 文面から溢れて、臨場感で一杯になる。

 労力も取材経費も大変だろう・・・

 

 しかし、この臨場感が読者には たまらないのだ。

 

 その点 俺は、自分の経験談を書いているので、どちらも必要ない。

 要るのは、やけくその精神と度胸だけだ。

 

 今まで俺のような目線で、ヤクザ社会を語って来たのは数少ない・・・

 時代がそれを許さなかった、と云った方が正しいかも知れない。

 

 いや、それより 俺のような向こう見ずな元ヤクザは居なかった。

 

 鉄砲玉なら一発だけだが、俺は山口組を出て 一匹狼として暴力団社会に警鐘を鳴らして来たからだ。

 そして 暴力団の歩むべき道を説いた。

 違うかい?

 

 話しを進める。 

 聞くところによれば 山口組の直参だった「太田守正」とか「天野洋志穂」が、元盛力会・盛力健児会長に続いて二匹目のどじょうを狙って 手記を出したいと売り込んで居るようだ。

 

 山口組の直参だった有力組長の「さらば山口組」が世に出たら、是非読んでみたいものだ。

 きっと読者受けするだろう・・・

 

 後は書き手の人柄だけである。

 

 ・・・ノンフィクションというのは、本物だけが伝えるリアル感がある。

 

 六代目体制で破門や除籍になった直参たちは、腹を括って自分の信念を後世に残すべき時が来たと俺は思う。

 但し、命が惜しかったら 静かに暮らすことだ。

 

 話しを変える。

 「日本駆け込み寺」の「玄秀盛代表」の講演を聞いて、以前 引っくり返るぐらいビックリしたことがある。 

 日本財団からの協賛金が 年間6阡万円余りあり、錚々たるメンバーが役員に名を連ねていたのだ。

 

 これは新宿・歌舞伎町と云う土地に「駆け込み寺」を開設したのが大ヒットの要因だと云っていた。

 

 俺は天下の名城・姫路城を仰ぎ見ながら日々「姫路の駆け込み寺」を目指して頑張っている。

 

 その姫路城では今、桜が満開だ。

 

 ・・・かつて ヤクザの激戦区と云われた姫路で、日本初の暴力団更生事業をスタートさせたのだが 正直バックボーンが無い。 

 いや、一貫した信念は有っても俺のあとに続く「事業」としての展開が無いのだ。

 

 余談だが、今日・4月6日朝9時20分に家を出て 白鷺小学校の入学式に出席した。

 スクールボランティアとして招待されたのだ。

 

 俺の番で挨拶する時 ズッコケて笑いを誘ったが、それも一年生に顔を覚えてもらうには良い機会だった。

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