竹垣悟の戦後70年談話

 最近 色んな人からコメントを頂く。

 世の中と云うのは「表」があれば「裏」がある。

 俺の生き様をブログに綴ると 顔を顰める人も居るだろう。

 そんな人は、俺の文章を読まないことだ。

 俺も そんな人には読んでほしくない。

 

 コメントは どんな批判でも受けるが、掲載するか しないかは俺が判断する。

 掲載しなくても、俺の自省材料になるので 有り難いと素直に受け止めている。

 

 俺は昭和26年3月21日生まれなので、あと数日で又ひとつ歳を重ねる。

 歳を重ねることは、円熟味を増すということだ。

 

 人も車と同じで、メンテナンス次第である。

 心構えひとつで、クラシックカーのように 風格を残して存在することが可能だ。

 車が傷めば板金するように、人も心や体が傷めば修復する必要がある。

 クラシックカーの風格と美しさを兼ね備えた生き方をするのが、俺の目標だ。

 

 そこで結論だが、いつまでも若く生きようと思えばチャレンジ精神が旺盛でなければならない。

 俺は心を若く持つ為に、日々「志し」を新たにしている。

 それに俺は、元暴力団組長でも 世の為・人の為に生きて行くことが可能であることを 現代社会に残す努力をしている。

 

 80歳まで活躍した高倉健や菅原文太のように、やる気があれば 男は渋く生きられる。 

 その点 俺は、まだ63歳の小僧だ。

 

 正義の旗を振り続けて 子供の頃 憧れた月光仮面になってみたいと最近よく思う。

 昭和30年代の話しだが、俺は七人の刑事とかを毎週見ていた。

 その頃の 正義に憧れた自分が懐かしい。

 純真な子供心と云うのは、いくら歳を重ねても 色褪せることはない。

 

 この前、居酒屋で 十代の頃からの知り合いに会った。

 その人は70歳過ぎで むかし姫路一のテキヤの嫁だった人だが、この人が云うには「むかしは良かったなぁ」だった。

 俺は「今が一番良い」と答えた。

 

 今が一番良いと思うから、何事も前進出来るのだ。

 

 人間 誰しも歳を取れば過去は懐かしいが、俺の人生は 振り返る程 良かったとは思わない。

 明るい未来を見つめる力が、俺にはまだ残っているからだ。

 

 ボランティア活動だが、これは心掛けひとつで誰にでも出来る。

 俺の主唱する 暴力団員と犯罪者の自立更生支援だが、俺が更生させてみたいと思う人間は 山口組当代の志しによって侠客になりつつある。

 

 いま世の中が 大きな転換期に直面した。

 鳩山由紀夫・元首相以外の政治家は、日本古来の伝統というものが見えている筈だ。

 これは右も左も関係なく、皆 同じだろう・・・

 

 村山富市・元首相の戦後50年談話だが、日本社会党としての政治信条を出したので 俺は是非を問うまでもないと思う。

 今更、一国の首相が出した談話を取り消す訳にも行くまい。

 

 そこで戦後70年談話だが、安倍晋三首相の主義・主張をハッキリ表に出して行けば良いのだ。

 あとは、後世の歴史家たちの判断に任せれば良い・・・

 

 余談だが、姫路の街中に「世代交代」の旗やポスターが多くなって来た。

 若手の野心家たちが、円熟世代を引っくり返そうと画策しているのだろう。

 野心で街は良くならない。

 

 2015年3月14日付神戸新聞に「問う 地方政治」と題して、こんな一文があった。

 ・・・課題も役割も異なる国政と地方政治、首長と議員。相次ぐくら替えは有権者の理解を得られるのか。例えば、兵庫県議の報酬はボーナスを含め年間1400万強。”腰掛”意識で受け取るべき額ではない。

 

 これは正鵠を射た戒直だろう・・・