竹垣悟の続・ヨーロッパ紀行

写真は エッフェル塔の前でパリジャン風の竹垣悟
写真は エッフェル塔の前でパリジャン風の竹垣悟

 東京・羽田空港を定刻より10分早く離陸した エールフランス航空に乗り込んだ我々一行・11名は、それぞれの任務と想いで「ハンガリー」の「ブタペスト」に着いた。

 

 鳩レース協会から参加した香取邦俊常任理事と小林七瀬編集部員は、この「オリンピアード」の総会と「レセプション」が終わって3日後 帰国した。

 今回の「オリンピアード」の会議は「ハンガリー」の国会議事堂で行なわれたらしく、小林編集部員は「カメラ」を片手に 連日14~5時間を拘束され 報道取材に追われていた。

 

 1月20日(火) 我々夫婦と内山勝博副会長は、吉原謙以知・チャンピオン商事会長と、レース鳩の鉱物飼料・プラスリンで有名な飯塚陽介取締役に送られて ベルギーのアントワープ・セントラル駅から12時33分発の列車でフランスのパリに向かった。

 

 列車は 昼食とセットのチケットだったので、列車の中での豪華なランチタイムを満喫した。

 ポークと野菜の2コースだったが、我々は野菜のコースをチョイスした。

 このフレンチ風味が 何とも云えない味わいを醸し出し、車窓の風景が昔見た フランス映画のワンシーンとダブった・・・

 あれは アラン・ドロンだったか、ジャン・ポール・ベルモンドの映画だったか忘れたが、フランス郊外の風景が車窓から流れる風景と酷似していたのが 俺の幼い心に今も残っている。

 

 今回はアントワープ・セントラル駅からフランスのパリまで 列車での移動となったが、改めて「車窓の旅」の素晴らしさに魅了された。

 

 俺たちの乗った列車は 日本で云えば新幹線のような列車で、昼食とかワインがオプションとして出た。

 

 パリに着いて タクシー待ちをして「ヴォルネイ・オペラホテル」に着いた。

 このホテルは、パリの中心地 ルーブル・ヴァンドーム広場に位置し、近くには「オペラ座」や「ギャラリー・ラ ファイエット百貨店」があり「コンコルド広場」や「パレロワイヤル」も1キロ圏内にあった。

 

 パリに着いた当日は、ホテルからシャンゼリゼ通りの西端にある「エトワール凱旋門」まで歩いた。

 

 そして螺旋階段を登上した。

 凱旋門の屋上に登ると、12本の通りが放射線状に延びて見える。

 パリ市内を見るには絶景の場所だ。

 

 この「凱旋門」自体、1805年 アウステルリッツの戦いに勝利した記念に ナポレオン・ボナパルトが命じ、翌年の1806年から建設が始まった。

 

 ガイドブックを見ると、ルイ・フィリップの王政復古時代・1836年に完成したとある。

 凱旋門の下には 第一次世界大戦の無名戦士の墓もある。

 

 パリに着いた初日は、ポリスとパトカーの数の多さに驚いた。

 聞くところによると、国際テロの影響だとのことだった。

 凱旋門からの帰りに、コンビニエンス ストアーでフルーツやミネラルウォター等を買って夜食に備えた。

 

 1月21日(水) 朝食はホテルのバイキングで済ませ、現地時間の朝9時過ぎから我々夫婦は ふたりで市内を散歩し、ウィンドウショッピングを楽しんだ。

 

 昼の1時に内山副会長と合流し、市内を「東京の、はとバス」のように廻る「ビッグバス」に乗って「エッフェル塔」から「ルーブル博物館」「セーヌ川」等、市内各地の名所を見て廻った。

 2時間余りだったが、途中「エッフェル塔」に下りて、ヨーロッパの寒波を肌で感じた。

 

 1月22日(木) 昼1時過ぎに我々は「ベルサイユ宮殿」行のバスに乗った。

 「ベルサイユ宮殿」では3時間余り居たが、人生の思い出には もって来いの場所だと思った。

 そして3日間のパリの思い出は、ベルサイユ宮殿と共に 我々夫婦の記念として深く心に残った。

 

 1月23日(金) ホテルをチェックアウトして 昼1時35分パリ発エール・フランス航空で帰国の途へ・・・

 空港に入ってから少し時間が有ったので、土産物を買おうと思ったが ユーロの持ち合わせが少なく、土産は餞別を貰った人にだけ買った。

 

 1月24日(土) 朝9時15分 大阪関西空港に着く。

 そして10時過ぎの姫路行バスに乗って ヨーロッパ紀行は終わった・・・