中野会VS古川組 知られざる秘話

 中野会が山口組若頭・宅見勝射殺事件後絶縁になり、俺たち中野会の者は一旦 三代目山健組・桑田兼吉組長の預かりとなった。

 その後俺は 中野太郎率いる「中野会」から、古川真澄率いる「初代古川組」に移籍になった。

 

 ・・・最初俺は 三代目山健組本部長・片岡昭生の仲介で、桑田兼吉の舎弟盃を受けることになっていた。

 これは以前トップページに書いた通りだ。

 

 だが 中野会系鈴木組に命を狙われた古川真澄としては、中野会系列を山口組に復帰させる事について、どうしても納得出来ない部分があった。

 ここら辺の事情は、盛力健児著「鎮魂」の中の 古川真澄との遣り取りを読んで貰えば、この俺の話しが理解出来ると思う・・・

 

 ・・・中野太郎散髪屋襲撃事件のあと 古川真澄を付け狙った中野会系鈴木組の若い者たちは、古川組内琉真会の組員によって拉致されたのだ。

 しかし沖縄戦争で辛酸をなめ尽くした琉真会は、ヤクザの筋道を重んじる事で知られる「四代目・竹中正久」の信奉者だった。

 そう云う面では竹中正久の生き様に傾倒して、極道社会を張って来たと云っても過言ではない。

 だから いくら古川真澄の命を付け狙ったとはいえ、同じ山口組一門の者を殺す訳にも行かず 焼きを入れて放した・・・

 

 古川組では俺と呑み分けの兄弟分だった琉真会々長・仲本政英と田中茂の三人で雑談中、この話しが出た。

 ・・・田中茂と云う男も竹中正久と同じで 極道として筋道を通す男で、大阪十三の中島組若頭・瀬戸山欣秀と兄弟分だった関係で 俺とも兄弟分になった。

 この田中茂の兄弟分が仲本政英で、俺が古川組に行ってから 三人が意気投合して兄弟分になった。

   

 田中茂は 若い者をそこそこ連れていたのだが、藤田(許)永中に「若い者は全員 一極会にやれ」と云われ、その通りにしたヤクザ馬鹿を絵に描いたような男だった。

 藤田永中を裏切らず「「裁判の傍聴」も欠かさず行ったのは この田中茂ただひとりなのだ。

 

 後日譚だが、田中茂は 癌で死ぬ前「藤田会長のお陰で 若い者たちに 嫁と一緒に お伊勢参りに連れて行って貰って、ほんまの大親分のような気分にしてもろた。兄弟 嬉しかったで」と云って死んだ。

 俺は色んな人間を見て来たが、この田中茂ほど 純真なヤクザは初めて見た。

 それに田中茂ほど 兄弟分思いの男は、ほんの一握りだけなのだ。

 

 余談だが、田中茂が引っ越す時 常に持ち歩いていたのが、俺と仲本政英と三人で交わした「兄弟盃」と、俺がプレゼントしたエルメスのネクタイだった。

 人それぞれの考え方にもよるが、俺はネクタイはヤクザ稼業のステータスだと思っていたので その持論を田中茂に押し付けたのだ。

 

 話しを変える。 

 俺が平成17年に堅気になってから、ヤクザ社会も激変した。

 組織の代変わりに人情が絡むのは最初だけで、あとは当代の息を離れ 執行部と云う名の下に非情なほど組織が変貌して行く。

 当たり前の話しだが、人を活かすも殺すも 組織の体質次第である。


 組織が肥大化して行けば、人間の体と同じで 余分な贅肉が付き 最後は病理集団となる。

 これは作家の飯干晃一が何かの本に書いていたが、俺は当初から この条理が解かっていた。

 

 時代のサイクルというのは 一定の周期で回っているのだが、この周期を知ることで 人生の勝利者になり得るのだ。

 その為には、歴史学者の本を読む事も 生きて行く上での糧になる・・・

 

 ・・・俺は刑務所に入ったお陰で 身を入れて本を読む事が出来た。

 俺の読書法は、乱読するのではなく 一冊の本をじっくり手間暇かけて読む。

 云わば人生の教科書代わりに 俺は本を読むのである。

  

 俺は頭の良い人間が 月何冊の本を読むと書いているのを聞くと、その読んだ本に自分の人情や思考力を絡めて読んでいるのかと聞きたくなる。

 俺は本質的に勉強が嫌いで 本を読む事は余り好きではなかった。

 その性癖は今でも変わらない。

 しかし人間的向上を目指すには、読書に親しむ以外ないのである。

 

 俺のような学の無い男が綴るブログが 読者の向上心に役立てば、これ程嬉しいことはない。

 いつも拙いブログを読んで頂き 感謝する次第である。