続・獄中始末記

写真は元旦に出した自筆の年賀状
写真は元旦に出した自筆の年賀状

 年末・年始と云うのは 何かと慌ただしいが、俺の大晦日は 家族団らんの中でNHK紅白歌合戦のあと「往く年・来る年」を見て、書写山圓教寺の住職が新年への希望を込めて書く漢字「節」と云う字で始まった。

 

 ・・・昨年度の俺の行事は、12月30日に五仁會理事長・宮前篤と会席料理で二人だけの忘年会をして終わった。

 この宮前の履歴は、五仁會隊士列伝に掲載しているので 興味のある方は一読されたし。

 俺とは大阪刑務所で同じ工場に務めた仲だ。

 

 それでは「獄中始末記」の続きに入る・・・

 

 刑務所と云うのは、満期3ヶ月前になると菓子とか間食は食べず、他の懲役に回す「懲役仁義」がある。

 俺は この仁義を守らない奴を見ると、刑務所の中で「男気」が消えて行くようで寂しくなる。

 逆に懲役も そんな仁義を守ることで自尊心(プライド)が芽生え、確たる誇りとなって 刑務所の中での成長に繋がって行くのだ。

 

 俺は、どこに居ても相手に 仁義を守らせるだけの男気と甲斐性は持っているつもりだ。

 因みに刑務所の中での楽しみは、家族からの便りや面会 それに寝る事と食べる事ぐらいである。

 

 俺はこの通り何事も見栄を張らず 本音で生きているので、何処に居ようと人の好意は素直に受ける。

 受けてやらなければ、相手の懲役仁義が立たないからだ。

 それに何よりも、俺に対して それぐらいの男気を出さなければ、俺は娑婆で会っても相手にしない。

 

 俺がヤクルト・ジョアを貰って飲んで、担当に見付かった事は前回書いた。

 

 俺が「すんまへん」と云うと、親父(担当)は懲役皆を見ながら「竹垣みたいに正直に云うたら俺は処分せんのや。それを俺が見付けても知らんと云うから 俺は腹が立つんや。竹垣みたいに した事はしたと正直に云えよ」と懲役に大きな声で云った。

 

 それから数ヶ月して、俺が「ちり紙」を他の懲役のロッカーに入れているのを見付かった事もある。

 「竹垣、お前のロッカーから何で他の奴のロッカーに ちり紙を入れるねん。それしたら不正授受やど」と云われた。

 俺は相手の懲役に迷惑が掛かると思い、この時も「すんまへん、俺が勝手にしましてん」と素直に認めた。


 刑務所という所は 下手に否認すると担当抗弁で相手方共々 取調べになり、懲罰に落ちるからだ。

 そうすると又、親父が俺の潔(いさぎよ)さを褒めるように 他の懲役に担当への「抗弁」のつまらなさを説いていた。

 元熱血教師だけあって、こう云う面で俺は指導者の心得と云おうか、人の使い方を教えられた。

 

 この親父が或る時 懲役に殴られた。

 俺は親父の「誰か止めてくれ」と云う声を聞いて直ぐ 懲役と親父の間に立ち、懲役に「止めとけ」と云った。

 もちろん俺が「止めとけ」と云ったので、懲役の動きは止まった。

 

 俺は自分で云うのも何(なん)だが、懲役でも皆 大体俺を立ててくれる。

 半数以上の懲役は俺の事を「竹垣さん」と云わず「会長」と呼ぶ。

 懲役仲間に一目置かれるのが 俺の貫禄であり、俺の刑務所での務め方だ。

 

 それに俺は誰とでも仲良くするのが取柄のように 子供の頃から育って来た。

 だから 俺はあまり人に憎まれたり嫌われたりしない。

 俺は何事も「愛嬌」だけは残して行動するようにしている。

 「男の一分」とは、そう云うものだ。

 

 俺は銭金は遣ったら無くなるが、人に受けた恩義は一生残ると云うのが持論だ。

 楽しく住み良い社会を作って行くには「恩」と云う字を忘れては立ち行かない。

 こんな考えの俺なので 受けた恩義に命を懸けて来た事もある。

 

 幸い俺は 持って生まれた運の強さに更なる精進を重ね、歳相応の「俺流スタイル」を貫いて来た。

 勝てば官軍・負ければ賊軍と云われるが、俺にとって この言葉は先人が身を以て残してくれた教訓なのだ。

 

 余談だが、男と云うのは度胸が一番だが その次に必要なのが「厳しさ」ではなく 俺は「愛嬌」だと思っている。

 年を取って頑固なだけのジジイは 人に嫌われる。

 可愛いおじいさんが世の中に増えれば、それだけ若い者が目指す社会もまた違ったものになるだろう・・・

 何回かの懲役を経験してみて、その度に色んな懲役を見て つくづくそれが解かった次第である。

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