竹垣悟の暴力団仁義

写真は 作田明賞受賞会場にて、竹垣悟と山平重樹。
写真は 作田明賞受賞会場にて、竹垣悟と山平重樹。

 師走に入り、衆議員選挙の告示・姫路11区への安倍総理や小泉進次郎・三原じゅん子と云ったスター議員の自民党公認候補への応援演説、それに危機感を持った松本たけあきの田中角栄を彷彿させる獅子奮迅の選挙区回り。

 小まめに車を止めての握手攻勢。

 俺が白鷺小学校の通学路に通じる地下道(しらさぎの小経)を地元婦人たちと大掃除していた時にも偶然出くわし、俺たちはホウキを傍(かたわら)らに握手した。

 

 そして12月19日、週刊アサヒ芸能連載・菅原文太 追悼特集取材中の山平重樹と、菅原文太を偲んで二人だけの忘年会をした。

 

 2014年も残すところ、あと一週間余りとなった。

 

 今年は、暴力団員と犯罪者の自立更生支援をする俺にとっては 激動の一年だった。

 

 このブログに対して今年の春「義竜会々長として全国に名を知られたアンタが暴力団社会を批判するのは義理が悪いで」と 恩人のひとりに云われた。

 しかし俺は その言葉を受け流した。

 

 俺には俺の人生劇場があるからだ。

 

 俺は この通りの一徹者なので、自分のスタイルを貫いて 今日まで生きて来た。

 若い者にも 俺の背中を見せて来た。

 だから 俺に文句の云えるヤクザはひとりも居ない。

 

 俺は義竜会を率いて居たが、俺に高目で物を云うヤクザは ひとりも居なかった。

 俺の親分だった竹中正久にも、俺は卒の無い男だと云われていた。

 もちろん兄貴分だった古川真澄も 俺の云う事はよく聞いてくれた。

 

 俺は 怪物だと云われるが、それぐらいの生き様をして来た。

  

 親分だった竹中正久の最後が 俺にとっては一種のステータスとなっている。

 俺はそんな親分の教えを実践し、何事も体を張って殻(から)を突き破って来た。

 だから その分だけ懲役にも行った・・・

 

 俺が柔(やわ)な男なら、とっくのむかしに誰かにカマシを入れられている。

 俺にカマシを入れるには、俺以上の腕と度胸が要る。

 

 そうだろう!

 俺はポン中なみの気狂(きちが)いだと云われるが、その通りかも知れない。

 俺の様なスタイルで、自分の生き様を貫いたのは 世間広しと云えども俺ひとりだからだ。

 俺の持論は、懲役は自分持ちだと云うことだ。

 だから暴力団の看板を使う必要もないし、バックボーンにする事もない。

 

 今どき、暴力団に籍を置いて何のメリットがある・・・?

 住む家は借りれない・・・

 ホテルにも泊まれない・・・

 銀行口座も作れない・・・

 それこそ 人権と云うのが全く認められてないのが暴力団だ。

 

 主張すべき人権がないと云うのは、人として哀れな存在でしかない。

 そんな哀れな世界に居て何をする。

 

 江戸が明治に変わって、サムライが町人になったように、暴力団は時代の要求に応じて、侠客にならなければ生き残っていけないと俺は思う。

 

 男気を出して 組の為に懲役に行って 出所時 その組はあるのか・・・?

 俺は過去の例を見る限り、疑問に感じる。

 ・・・懲役30年で済めば良いが、無期にでもなれば それこそ真っ暗闇の人生だ。

 俺はそんな男を何人か見て来た・・・

 

 山口組六代目組長も 服役中の若い者の事を考え、温故知新を山口組指針に掲げたのだろう・・・

 田岡一雄三代目組長が目指した播随院長兵衛とは、俺は或る面 篠田建市のことを云うのだと思う。

 古きを温(たず)ねて新しきを知るとは、今の時代 絶妙な言葉だ。