竹垣悟の一匹狼奇談

写真は一匹狼 溝口敦と竹垣悟
写真は一匹狼 溝口敦と竹垣悟

 ヤクザには、二通りの型があり「群れを好む者」と、俺や「中野太郎」のように孤高を保ち、人と群れるのを嫌う「一匹狼」的な人間が居る。

 

 愚連隊や暴走族上がりなら別だが、正統派のヤクザなら 大抵「男一匹」を自認して渡世を張ってきた筈だ。

 俺は若い者と行動していても 肝心な話しをする時は、常にひとりを心掛けて来た。

 

 刑務所でも 俺は集団(しゃ)を組むことはなかった。

 刑務所の中で集団を組んでいると その中の誰かが喧嘩すると、全員がその喧嘩に巻き込まれるからだ。

 それに何よりも 俺たち懲役の面倒を見てくれる刑務官がイヤがるのだ。

 

 懲役に行ったら俺は 刑務官を「親父」と呼ぶ。

 親父と呼ぶ限り、俺は その親父に下手を打たせられないというのが信条だ。

 俺は通算で十数年を刑務所で過ごしたが、幸いなことに一回も喧嘩をしたことがない。

 

 ・・・男が手も出さず口論して懲罰に行ったら、それこそヤクザとして物笑いの種になり 侠(おとこ)が廃るからだ。

 これは自尊心の問題だが、俺は喧嘩をするなら相手の目玉を潰すぐらいの気魄で懲役を務めて来た・・・

 

 暴力団時代 刑務所へは5回行ったが、その内3回は地元の神戸刑務所だった。

 俺が服役していた頃の神戸刑務所というのは 地元・姫路近辺の者が多かった。

 竹中組時代は 大袈裟(おおげさ)に云えば、各工場に最低ひとりは竹中組々員が居たこともある。

 

 刑務所の中というのは 精神修養と教養を身に付けるには持って来いの場所で、俺は刑務所に入るたび本を読み「知識」と「教養」を身に付けてきた。

 そしてどんなものでも呑み込めるように、好き嫌いを封印した。

 男の器量というのは、嫌いなものでも受け止める度量がなければ駄目だ。

 俺は繊細な男だが、反面 意地っ張りな男でもある。

 

 懲役というのは 懲(こ)りない面々が多く、少し油断をすると反則したり つまらん事で向きになって怒ったりする。

 「何で こんな事が辛抱出来んで懲罰に行くのか」と理解に苦しむことが多かったが、そのたび これが懲役だと思って過ごして来た。

 

 刑務所の中で「辛抱」を覚えれば どんな事にでも耐えられるのだが、この道理が解かっていても 辛抱と云うボウが外れる。

 刑務所の中で 娑婆からの知り合いに逢うと、どちらかが「辛抱しいよ」と声を掛ける。

 刑務所では「こんにちわ」と云う代わりに「辛抱しいや」と云うのがお互いの挨拶になるのである。

 

 山口組の四代目を継承した竹中正久と云う親分は、男としての資質で一番大切なことは「辛抱」だと若い者に教えて来た。

 これは自身の刑務所生活の中で会得した 人生訓みたいなものだろう・・・

 

 俺は人に語れるほど立派な人生を送って来た訳ではないが、それでも人よりは多くのピンからキリまでを見て来たつもりだ。

 男という生き物は、この世に自分が生きたという足跡を残す為に生まれて来たと何かの本に書いてあったが、俺も全くその通りだと思う。

 

 余談だが、富士(現みずほ)銀行の創業者である安田善次郎が「五十・六十は鼻たれ小僧 男盛りは八、九十」という言葉を残しているが、昔の偉人というのは素晴らしい発想をしたものだ。

 

 人間というものは 気分で生きている動物で、何事も「気」の持ち方ひとつで変えられる。

 俺は「人生は夢を追う」ものだと思うことにしているのだが、こんな考えも困ったものだ。

 最近つくづく そう思う・・・