ヘイトスピーチと民族の主張に泣きたくなる時・・・

昭和の終わり頃、加茂田重政に韓国のチング(友達)だと紹介された竹垣悟。
昭和の終わり頃、加茂田重政に韓国のチング(友達)だと紹介された竹垣悟。

 政治家は、健康面での不安が有権者に知れると 次の選挙では必ず落選すると云う・・・

 健康面に不安を抱えたまま、健全な活動は続けられないからである。

 ヤクザも同じで 健康を損なえば、体が気持ちに付いて行かず、いくら立派な親分でも行動力が鈍る。

 

 自分が想い描いた構想を、実行出来ないということは「絵に描いた餅」のまま人生を終わるということだ・・・

 

 どの世界でも、健康を損ねた人間を いくら担(かつ)いでも、良い組織は作れない。

 もちろん健康面が障害となり 人の為に役立つ行動は出来ないのである。

 

 ヤクザ社会も高齢化になって、健康面での不安を抱えている人が多くなった。

 ヤクザの親分ともなれば「懲役で体を賭け」「若い者に血を流させ」「金を遣い」「男を売って来て」それで利権を手中に収めた人間が多いので、一度その利権を握れば中々離そうとしない・・・

 

 毎日 病院通いをしながら、暴力団組長の椅子にしがみ付いて、親分としての既得権を守る為に汲々としている親分もいるのだ。

 そんな親方を持つ若い者は、将来の展望が描けず惰性でヤクザを続けていると俺は思う・・・

 俺も現役最後の頃、兄貴分だった古川真澄を見て そう思ったことがある。

 

 車椅子に乗ったまま 尼崎から福井県の方まで義理事に出掛けたのだが、その姿を見ると 背中に鬼気迫るものがあった。

 そのとき俺は、古川真澄の引退が近いと思った。

 それで俺の心に浮かぶまま正直に 古川真澄に聞いたのだが、古川真澄は「わしは死ぬまで極道や」と 迸(ほとばし)るような口調で云った。

 

 それから暫くして 高山清司や橋本弘文、それに最後は岸本才三と野上哲男が来て「古川組二代目」と「古川真澄の引退」が決まった。

 わずか一週間余りで これだけ動いたのである。

 

 このあと中華料理店での古川組二代目指名の顛末も、以前このトップページに書いたので ここでは詳細を省く。

 ・・・世の中の出来事は全てドラマだと俺は思う。

 

 その後 俺は古川真澄の引退が引き金になって堅気になったのだが、それからの暴力団追放運動の盛り上がりは俺が見ても異常なぐらいにヒートアップして来た。

 福岡県警の本部長が過日「オールジャパン」で暴力団壊滅を目指すとコメントをしていたが、成る程 警察官に外国人はひとりも居ない。

 

 逆に暴力団組織のトップから末端までを見ると、第二次世界大戦後の混乱期を疾走してヤクザになった者が多い。

 むかしの日本政府の方針は、在日韓国・朝鮮人が長期刑に相当する犯罪を犯せば 強制送還の対象としていたので、在日韓国・朝鮮人が大きな事件を起こすのは数少なかった・・・

 

 三代目山口組では柳川組・柳川次郎 こと梁元鍚が二代目・谷川康太郎 こと康東華を巻き込んでの警察による強制送還という切り札を突破口に獄中解散・山口組脱退に至るいきさつがあり、以後 田岡一雄組長は外国籍の者は幹部に登用しなかった。

 これは後に四代目を襲名する竹中正久と雑談していて 大雑把(おおざっぱ)に聞いた話しだ。

 

 警察にパクられた時、強制送還を交換条件に出されれば、いくらしっかりしたヤクザでも日本の国に住むためには どんな条件でも呑まざる負えなかったと云うのが実情だろう・・・

 しかし バブル景気と共に世の中全体が金で動き出し 在日韓国・朝鮮人が指定暴力団のトップになったり、幹部になったりするようになった。

 

 竹中組を継承した竹中武も例外に洩れず、田岡一雄や竹中正久の考えを踏襲する事なく 外国籍の者を幹部に登用した。

 結果、竹中組の崩壊を早めたのは歴史が証明する通りだ。

  

 俺は堅気の世界で成功している在日の人間に聞いたのだが、ニッポンで暴力団をしている同胞を見ると情けなくなると云っていた。

 それも皆が皆「本名」を名乗らず「日本名」を名乗り、帰化も出来ず「これ程 情けない生き方」をしているのは、日本に在住する暴力団だけだと嘆いていた。

 なぜ「国籍名」を名乗り、祖国愛を持たないのか 理解に苦しむと云っていた。

 

 俺も「祖国愛」は人間として持つべきものだと思う・・・