竹垣悟・ヤクザと政治家を名指しする

月刊実話時代1988年2月号のグラビアを飾った竹中組当時の竹垣悟。撮影は名カメラマン・中村龍生。
月刊実話時代1988年2月号のグラビアを飾った竹中組当時の竹垣悟。撮影は名カメラマン・中村龍生。

 高倉健に東映映画で三代目山口組を演じさせ、自分の侠客魂を世間に震撼せしめた田岡一雄。

 その田岡一雄が目指した侠客・播随院長兵衛を 山口組綱領に則り、六代目 篠田建市組長以下 山口組々員も目指すべき時が来た。

 

 俺のブログは余程の事が無い限り、毎週月曜の正午過ぎには更新するようにしている。

 

 元義竜会々長だった俺が、明確な意志を持って何事も行動しているのだ。

 だから現役の者は、尚更組織に対して忠実に生きなければならない。

 それが、組織人たる者の本分だろう。

 

 還暦を迎え、赤いチャンチャンコを着る代わりに 俺は背中の一匹竜の背びれに8時間かけて朱赤を入れ直した。

 結果 むかしからの教え通り、俺は赤ちゃんに戻った。

 折角 赤ちゃんに戻る歳まで生きたので思考を切り換え、これまでとは180度違う生き方に変えた。

 そして今、暴力団に「時代が求める生き方」をするように促す活動をしているのだ。

 

 義竜会々長時代の俺は、刹那的だった。

 今も刹那的だと云えば、そうだろう・・・

 

 堅気になって9年・・・俺がこんにち こうして活動出来るのは、これ一重に良い出会いに恵まれての事である。

 それに何よりも良い縁に恵まれた。

 先祖があって俺があるという事を肝に銘じて生きて来たお陰で、今日の俺があると思っている。。

 この「お陰様で」という思いが今の俺の生き様につながっているようだ。

 

 俺は、頭に来る事があっても出来る限り「煮え湯」を飲むようにしている。

 そして、その煮え湯を冷ましてから行動を起こすように心掛けている。

 お互い昂奮して居れば、しなくても良い喧嘩をするようになってしまうからだ。

 俺がこういう腹芸が出来るようになったのは、刑務所生活の賜物だと思う。

 

 さて工藤會のことだが、法治国家としての日本警察の威信がかかっているので、今回は そう簡単に収まらないだろう・・・

 工藤會が壊滅するまで警察は、国家の威信を賭けて戦う体制を敷いた。

 

 暴力団壊滅に本腰を入れ出した国家の姿勢は、今の国際情勢に沿ったものであり、反社会的集団が跋扈(ばっこ)しない「明るく住み良い街づくり」の原点になっている。

 要は、日本という国に住んでいる限り「お上」には逆らえないと云うことである。

 天皇陛下のお膝元・関東のヤクザは、それをよく理解している。

 

 ・・・法律の壁というのは、誰しもが簡単に破れない聖域だろう。

 だから俺は、そんな法律を作る立場に居る政治家を真剣に選んで来た。

 それが国益に適う政治家か、国民の生活を向上させる政治家でなければならない。

 

 ・・・古武士風に見えるヤクザも今は減った。

 俺は、幡随院長兵衛にダブって見えるヤクザが侠客になれる一番手だと考えている。

 

 断っておくが、これは何もヤクザを擁護する訳ではない。

 「暴力団は侠客になれ」と云っているだけだ。

 指導者がしっかりしなければ、弟子は道を誤る。

 

 俺が書いている文章が、世の中の役に立ってないのなら、俺は今からでもペンを折る。

 

 今話題の中野太郎 ニコニコ散髪屋襲撃事件に至るまでの流れと全容を、俺は中野会・古川組双方の最高幹部として裏事情を隅無く見て来た。

 山健組三代目・桑田兼吉より古川真澄に、俺の意志に関係なく 中野会の戦利品として俺は送り込まれた。

 だから俺は伝聞で知っているのではない。

 その時々、ダイレクトで入って来た状況を知っているのだ。

 でもこの問題は、軽々しく今は云うべきではないと判断したので黙して語らずの姿勢を貫く。

 この事件で、長い懲役に行っている人間も居るからだ。

 

 余談だが、2013年1月1日「五仁會飛躍の年の決意をこめて」をサイトマップ(各ページの左下)で検索して貰えば、俺の根本の考えが理解出来るだろう・・・

 

 この文章が、年賀状に書いたものだ。

 自分で云うのも何だが、俺の年賀状と暑中見舞いの文面は、その時々に受け取る人にとっては良い教訓になって来たと思う。