高倉 健を手本にした俺こと・竹垣 悟

昭和40年秋、白鷺中学3年1組卒業旅行の際、皇居にて記念撮影。強烈な高倉健ファンだった俺は、この時「はとバス」の中で、昭和残侠伝の主題歌・唐獅子牡丹を唄った。映画の封切りは、昭和40年10月1日。俺たちは翌年の昭和41年春に卒業した。
昭和40年秋、白鷺中学3年1組卒業旅行の際、皇居にて記念撮影。強烈な高倉健ファンだった俺は、この時「はとバス」の中で、昭和残侠伝の主題歌・唐獅子牡丹を唄った。映画の封切りは、昭和40年10月1日。俺たちは翌年の昭和41年春に卒業した。

 俺は自分の主義・主張は愚論かも知れないが、常に真っ直ぐを心掛けて来た。

 「八十の手習い」もそうだが「千里の道も 一歩から」と云うことわざを、俺は堅気になってから「座右の銘」にした。

 

 長い間 極道をして来たので、五十代半ばになってからの堅気生活を、俺は山口組という会社を、早期退職したように捉えた。

 そして極道の垢が 体に染み付いた俺が、その垢を落とし「第二の人生を どう歩むべきか」常日頃の覚悟を、改めてノートに箇条書きした。

 

 過去、極道史に残る親分たちの山口組との決別時はどうだったか・・・

 自分が率いた組織は、その時点でどうしたか・・・

 堅気としての認識を、社会にどう受け止めて貰うか・・・等々、俺は可能な限り直視した。

 

 結果、俺は自分の性格を曲げずに生きる方法が「人に見えやすい」生き方だと悟った。

 俺は何事も「未練」を残さないことを信条として生きて来た。

 だから、どんな場合でも 浮世に未練は残さないのだ。

 

 男は「あとを振り返らず」生きて行くものだと「千利休」の茶道の心得で覚えた。

 それが一期一会という言葉だ。

 そして真っ直ぐ前を向いて歩くものだと「高倉健」演ずる映画の主人公を見て思った。

 

 男の生き様とは、何事も人の共感を呼ぶものでなければ賛同を得られない。

 男には、魂の叫びというものが必ずあるはずだ。

 

 俺は今日まで生きて、色んな親方衆の所作から出処進退まで見て来た。

 その中で共通点と云えば、どの親方も世に名を残す親方というのは往々にして、正直でハッキリ物を云う人が多かったと云うことだ。

 

 云いたい事も云わず「モジモジ」している奴は、大体 親方にはなれない。

 

 そんな小心者でも酒を飲めば、腹にある事を大声を発して云う・・・

 それだったら飲んでも飲まなくても、男なら云いたい事を云えば良いのだ。

 

 俺は素面でも云いたい事を云うが、酒を飲んだら勢いあまって今度はその言葉を実践しようとする・・・

 だから頭に来たら、口と平行して手が出る。

 これは悪い癖だ。

 

 一呼吸置いて 話しを流して行けば良いのだが、その点 不器用極まりないのだ。

 

 俺にとっての酒というのは、理性を完全に麻痺させる。

 時と場所を選ばず 自然体で激怒して来たので、その時の俺はまるで狂犬だった。

 だから酒は師弟盃と仲人の盃以外、可能な限り飲まないようにしている。

 

 俺の場合、酒を飲んでも飲まなくても 云うことは云うし、する事はするので 酒の勢いを借りる必要がないからだ。

 

 かえって酒を飲まない分、冷静に物事の判断が出来る。

 そして一寸先の展開が、鋭い刃物で抉り出したように俺の脳裏を駆け巡る。

 これは、生死の淵を彷徨った揚句「三途の川」を渡れず生還した時に、身に付けた特殊な霊験だろう・・・

 

 この時俺は、神の存在を心の奥深く感じた。

 そして心と身(からだ)が一体にならなければ、神の存在は 自分の体内にとどまらないと思った。

 だから尚、律儀に生きなければと自分に云い聞かせた。

 

 俺の人生を振り返ると、色んなやくざが浮かんでは消える。

 その中で俺が二度と付き合いたくないのが、口から出まかせの嘘を平気で云う奴だ。

 

 嘘つきと云うのは「小心者」に多かったように思う・・・

 

 麻薬・覚醒剤の乱用者というのは、繊細な神経の持ち主をつくる。

 良い言葉で云えば 一途な人間であり、悪い言葉で云えば小さな人間だ。

 

 薬物欲しさに嘘を吐いて人から金を借りたり、抗争事件に備えて組から預かっている拳銃(チャカ)を薬物に換えてしまったりする。

 

 だからポン中の世界を、俺は無間地獄だと思うのだ。

 そんな無間地獄から救ってやるのも俺達の務めだが、これはむずかしい問題だ。

 

 さて 昨今の国際情勢だが、テロ集団である「イスラム国」に対して空爆が開始され、戦闘が始まった。

 俺はテロ組織を「イスラム国」と認定した時点で、米国主導の国家を挙げての戦争が始まると思った。

 工藤會の認定も然りである・・・

 これが世論と、同盟国 アメリカの底力(そこぢから)と云うものだろう。

 

 どの国も同じだが、俺は正義の為に戦うというのは必要なことだと思う。

 人間 どうせ一度は死ぬからだ。