
俺は自分の主義・主張は愚論かも知れないが、常に真っ直ぐを心掛けて来た。
「八十の手習い」もそうだが「千里の道も 一歩から」と云うことわざを、俺は堅気になってから「座右の銘」にした。
長い間 極道をして来たので、五十代半ばになってからの堅気生活を、俺は山口組という会社を、早期退職したように捉えた。
そして極道の垢が 体に染み付いた俺が、その垢を落とし「第二の人生を どう歩むべきか」常日頃の覚悟を、改めてノートに箇条書きした。
過去、極道史に残る親分たちの山口組との決別時はどうだったか・・・
自分が率いた組織は、その時点でどうしたか・・・
堅気としての認識を、社会にどう受け止めて貰うか・・・等々、俺は可能な限り直視した。
結果、俺は自分の性格を曲げずに生きる方法が「人に見えやすい」生き方だと悟った。
俺は何事も「未練」を残さないことを信条として生きて来た。
だから、どんな場合でも 浮世に未練は残さないのだ。
男は「あとを振り返らず」生きて行くものだと「千利休」の茶道の心得で覚えた。
それが一期一会という言葉だ。
そして真っ直ぐ前を向いて歩くものだと「高倉健」演ずる映画の主人公を見て思った。
男の生き様とは、何事も人の共感を呼ぶものでなければ賛同を得られない。
男には、魂の叫びというものが必ずあるはずだ。
俺は今日まで生きて、色んな親方衆の所作から出処進退まで見て来た。
その中で共通点と云えば、どの親方も世に名を残す親方というのは往々にして、正直でハッキリ物を云う人が多かったと云うことだ。
云いたい事も云わず「モジモジ」している奴は、大体 親方にはなれない。
そんな小心者でも酒を飲めば、腹にある事を大声を発して云う・・・
それだったら飲んでも飲まなくても、男なら云いたい事を云えば良いのだ。
俺は素面でも云いたい事を云うが、酒を飲んだら勢いあまって今度はその言葉を実践しようとする・・・
だから頭に来たら、口と平行して手が出る。
これは悪い癖だ。
一呼吸置いて 話しを流して行けば良いのだが、その点 不器用極まりないのだ。
俺にとっての酒というのは、理性を完全に麻痺させる。
時と場所を選ばず 自然体で激怒して来たので、その時の俺はまるで狂犬だった。
だから酒は師弟盃と仲人の盃以外、可能な限り飲まないようにしている。
俺の場合、酒を飲んでも飲まなくても 云うことは云うし、する事はするので 酒の勢いを借りる必要がないからだ。
かえって酒を飲まない分、冷静に物事の判断が出来る。
そして一寸先の展開が、鋭い刃物で抉り出したように俺の脳裏を駆け巡る。
これは、生死の淵を彷徨った揚句「三途の川」を渡れず生還した時に、身に付けた特殊な霊験だろう・・・
この時俺は、神の存在を心の奥深く感じた。
そして心と身(からだ)が一体にならなければ、神の存在は 自分の体内にとどまらないと思った。
だから尚、律儀に生きなければと自分に云い聞かせた。
俺の人生を振り返ると、色んなやくざが浮かんでは消える。
その中で俺が二度と付き合いたくないのが、口から出まかせの嘘を平気で云う奴だ。
嘘つきと云うのは「小心者」に多かったように思う・・・
麻薬・覚醒剤の乱用者というのは、繊細な神経の持ち主をつくる。
良い言葉で云えば 一途な人間であり、悪い言葉で云えば小さな人間だ。
薬物欲しさに嘘を吐いて人から金を借りたり、抗争事件に備えて組から預かっている拳銃(チャカ)を薬物に換えてしまったりする。
だからポン中の世界を、俺は無間地獄だと思うのだ。
そんな無間地獄から救ってやるのも俺達の務めだが、これはむずかしい問題だ。
さて 昨今の国際情勢だが、テロ集団である「イスラム国」に対して空爆が開始され、戦闘が始まった。
俺はテロ組織を「イスラム国」と認定した時点で、米国主導の国家を挙げての戦争が始まると思った。
工藤會の認定も然りである・・・
これが世論と、同盟国 アメリカの底力(そこぢから)と云うものだろう。
どの国も同じだが、俺は正義の為に戦うというのは必要なことだと思う。
人間 どうせ一度は死ぬからだ。
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