俺は皆も知っての通り、元暴力団・義竜会の会長だった。
会員は最盛期で末端まで含めると、150人は居ただろう・・・
暴力団の組長というのは、子分の数だけ苦労があるものだ。
俺の性格は一旦緩急あれば、とことん突き進んで行くタイプで、どんな場面でも子分に任せず自分で始末をつけて来た。
反面お人好しだが頑固者で、上から出る奴には問答無用の典型的な「トッパ者」だった。
・・・現役のころ、俺は播随院長兵衛のような風格のある親分になりたいと思ってヤクザ稼業に励んだ時もあったが、結局「暴力団組長」のままで終わった。
こんな「極道」を絵に描いたような男が、名誉ある「第五回・作田明賞」を受賞したのである。
これが世の中の不思議というものだ。
この不思議現象は、俺の高祖父 田中河内介から受け継いだDNAと、人の縁に恵まれてのことだろう・・・
受賞当日、俺は嫁と朝9時に家を出て姫路駅に向い「新幹線・のぞみ号」に乗車した。
そして定刻通りに東京駅に着いた。
八重洲中央口には俺の友人の、本社を東京に置く食肉業をしている社長・小堀博生が迎えに来てくれた。
そして、小堀社長の運転する車で今回授賞式の会場である「新宿住友ビル」に向った。
小堀社長は日本人だが、中国のチンタオで牧場を持っている。
新宿住友ビルに着いたら、俺の弟子で五仁會・青森連絡所の二階利陸が入り口付近に居たので合流して、珈琲を飲んだ。
そして14時半頃に会場いりして控室に入った。
控室に入って、先ず「作田美緒子代表」と名刺交換して話していると、そこへ「飛松五男先生」が入って来た。
飛松先生は、俺の地元姫路を拠点に「飛松塾」を主宰し、一水会顧問・鈴木邦男先生も特別ゲストとして毎回出演している。
この飛松先生とは、俺の友人である自民党議員に紹介されて以来の仲である。
その後少し経って「元法務大臣」の江田五月議員が入って来られたので名刺交換した。
この江田五月議員と名刺交換する時「見るからに東映のヤクザ映画から飛び出して来たような人やなぁ」と云われた。
事前に俺の「経歴書」に目を通しておられたのだろう・・・
そういう面では流石「そつ」の無い人だと思った。
次に「聖学院大学名誉教授」の丸山久美子先生と名刺交換した。
この丸山先生とは何を話したのか失念してしまったが、我々の更生活動に理解を示して下さる先生だとの印象が強かった。
「本庄児玉病院」の高野覚院長とも名刺交換した。
この先生も「作田明賞」創設者の作田明先生と同じく精神科医で、120床の病床で認知症の治療をされているそうだ。
外に、歌手の尾崎豊さんの兄で、名古屋地方裁判所の判事を歴任後「尾崎法律事務所」を開設して弁護士活動をしておられる尾崎康先生も審査員として加わっていた。
この尾崎康先生の話しを聞いていると、つい在りし日の尾崎豊さんの雄姿が偲ばれる。
最後に会場入りされたのが「作家」の吉永みち子先生だ。
この吉永先生が論評の時、私も若い頃「ヤクザ映画はよく観たのよ」と云って、俺の更生活動に理解を示してくれたのが嬉しかった。
今回、最優秀賞に輝いたのは「最高検察庁参与」であり「社会福祉法人・南高愛隣会顧問理事」の田島良昭先生だった。
この田島先生は、知的障がい者の犯罪更生寮を開設して、2002年には内閣総理大臣から表彰を受けている。
優秀賞が俺こと、竹垣悟と「精神科医で医学博士」の福井裕輝先生だった。
福井先生は京都大学医学部卒業後「法務省・京都医療少年院・法務技官」を経て、現在は「犯罪精神医学研究機構」の機構長を務めておられる。
俺には、このような立派な先生と肩を並べての受賞が、雲の上の出来事のように思われる。
この賞を俺は、これからの五仁會更生プロジェクトの起点にしなければならない。
人間万事塞翁が馬とは良く云ったものだ。
・・・以上で私の受賞記念講演を終わります。
長々と御拝聴下さり、ありがとう御座いました。 合掌
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