竹垣悟・作田明賞を受賞する

受賞者(赤リボン)と審査員(白リボン)一同で集合記念写真。前列左から作田美緒子代表・田島良昭先生・竹垣悟・福井裕輝先生・丸山久美子先生。後列左から高野覚先生・飛松五男先生・吉永みち子先生・江田五月先生・尾崎康先生
受賞者(赤リボン)と審査員(白リボン)一同で集合記念写真。前列左から作田美緒子代表・田島良昭先生・竹垣悟・福井裕輝先生・丸山久美子先生。後列左から高野覚先生・飛松五男先生・吉永みち子先生・江田五月先生・尾崎康先生

 暴力団の抗争事件には「ヒットマン」がつきものだが、今回は目線を変えて元警察官だった私の親友の経験談を話してみたいと思う・・・

 

 私の友人は兵庫県警・暴力団対策課の元刑事だったが、定年退職して現在も警察官時代と同じように正義の旗を振り続けている。

 この友人の影響で私も、安全・安心の街づくりに参加しているのかもしれない。

 

 私は、この友人に競馬法違反でパクられた事があるのだが・・・

 

 警察と云うのは秘密主義的なところがあり、あまり内部で有った事は話してくれない。 

 でも、社会を明るくする為に話さなければならない事もある。

 

 ・・・私が堅気になって間もなくの頃、私の事を心配してくれ親身になって電話をくれたのが、この警察官だった。

 

 しばらく、あれやこれやと話している内に、二人で沖縄に行こうと云う話しになった。

 そしてこの話しから数ヶ月経って沖縄に行った。

 

 沖縄は私にとって初めての土地なので、レンタカーを借り、島中を一周した。

 もちろん、ひめゆりの塔も首里城も見て回った。

 この沖縄珍道中以降、意気投合して親友になったのだ。

 

 ・・・この友人が兵庫県警の、或る暴力団対策課に居た頃の話しだ。

 

 平成9年8月27日に宅見勝若頭が射殺されて直ぐの或る日、私が大森三勝(当時、中野会舎弟)の事務所に行って事務所を出た時、この刑事と会った。

 

 「会長、あんた、ここ(大森所)から真っ直ぐ姫路に帰るんかいな?それともどこかへ行くんかいな」と聞くので、私は「加藤総業へ行くつもりや」と面倒臭そうに答えた。

 

 私は当時、この刑事にパクられたという思いが強かったので、この刑事には良い印象を持ってなかった。

 その感情を察したのか、それでこの話しは終わった・・・

 

 この刑事の口ぐせが「わしは正義の為に警察官として暴力団にはきつく当たって来た。その為にあんたをパクって悪かったが、正義の為やった。堪忍やで」と云うのだ。

 

 ・・・それから15年近く経った数ヶ月前、或る人間が「面白い話しをしたろか?」と云う。

 「あんたが大森三勝の事務所に行って、そのあと加藤眞介の事務所に行く云うとったやろ」

 「あのあと、山口組系のヒットマンが加藤眞介を狙っとったんやけど、こいつがポン中で一発効き目で警察に飛び込んで来て、大変やったんやで」と云う・・・

 

 私が「なんで?」と聞くと「こいつがヒットマンとしての役目を放棄したので、今度は山口組に狙われる、と云って取り調べをまともにさせへんのや・・・」

 「それやったらヘルメットと防弾チョッキを着けたるさかい、取り調べしようか」と云って実際そうしたというのだ。

 

 私はこの時、腹を抱えて笑った。

 この組の名前も書いて良いのだが、男のおしゃべりはあまり感心しないので忘れることにした。

 

 抗争事件では色んなエピソードがあるものだ。

 

 警察というのは、ヒットマンとしてパクって覚醒剤の使用を認定しても、抗争事件の方を優先して覚醒剤事件を握り潰す。

 

 ヒットマンの方も、せっかく良い仕事をしても覚醒剤を使用しての犯行なら新聞に出ると、即組を破門になる。

 そこら辺は、暴力団対策課の刑事は男気がある。

 

 やくざとしての勲章を持たせて、刑務所に送り込むのである。

 武士の情けとは、こういうことを云うのだろう・・・

 

 本題だが、8月23日に念願の作田明賞を私が受賞した。

 作田明賞に就いては、去る6月9日に「産経新聞 正論 元客員 作田明を読み解く」と題して私のブログに書いたので、それを今一度読み返してもらいたい・・・

 

 さて、当日の様子だが、これは姫路に帰ってゆっくり落ち着いてから書きたいと思う。