後生の縁

日本一の芸人・横山やすしと竹垣悟の奇縁
日本一の芸人・横山やすしと竹垣悟の奇縁

 ノンフィクションを誰よりも正確に、事実通り書くというのは経験者自らがペンを執って書くのが一番だろう・・・

 

 それから、その原作に色付けをして肉付けをする事によって「物語り」が深みを増すのだと最近思うようになった。

 そう云う面では、後藤忠政師の「憚りながら」とか盛力健児師の「鎮魂」等は、最近の口伝では最高傑作だと思う。

 

 今、ノンフィクション作家にとって面白い素題がないので、売れる本が書けないのだと云う・・・

 

 そこで知り合いの自費出版社の社長に「200ページぐらいの本を出すのに一体いくらぐらい掛かるのか」見積りを出して貰ったのだが、モノクロなら案外安く出来るのだ。

 

 でも私は記念に残すために本を出すのではなく、出した限り売れなければ意味がないと云うのが持論なので自費出版はしない。

 その旨、社長に伝えて見積りを出して貰った。

 

 それはそうだろう。

 私自身、無理をしない堅実タイプなので、せいぜい百冊ぐらいしか買取り能力がないからだ。

 プロの本屋が私に接触が無いと云うのは、私がいま書いている「ブログ」が面白くないということだ。

 

 人が読んで面白くない「ブログ」を、毎週「せっせ」と書いて出している私は、時々自分で「馬鹿じゃないか」と思う時がある。

 

 小さなネタを大きく引き伸ばし、面白可笑しく文章を仕上げて行く能力が私には無いので、友人が「私の原作で、西岡研介先生にでも書いて貰ったらどうや」と云ってくれるのだが、或る理由があって、西岡研介との縁は一度会って数回便りを遣り取りしただけで切れてしまった。

 

 この理由は、恩義のある人に「西岡研介と付き合うな」と云われたからだ。

 せっかく「盛力健児」が紹介してくれたものを、縁を活かせず残念だった。

 

 この「教訓」は最後に書き、改めて自分の心の中で反芻したいと思う・・・

 

 さて八月に入って何が一番イメージ出来るかと云えば、夏のお化けだろう。

 それに暴力団時代は、大きな抗争事件が起きていた。

 

 妙なもので、夏の暑さがピークに達する時に「ヒットマン」が活躍するのである。

 お陰で私は今だに、防弾チョッキを5着も持っている。

 嫁がタンスに入れるのにカサが高いので何とかしてくれと云うが、そのまま置いてある。

 

 私の場合、八月になれば決まって防弾チョッキを思い出すから不思議だ。

 それだけ私の心に魔物が棲み易い月が八月だということだ。

 

 余談だが、私が中野会時代 平成9年8月に宅見勝山口組若頭射殺事件が起きた。

 この事件の真相を聞いて私は愕然とした。

 

 自分の所属する組織の若頭を狙って殺すというのは、映画で云えば仇役のすることであるからだ。

 

 ・・・初代竹中組の時、若頭をしていた坪田英和が出来の悪い事をしたので、当時若頭補佐をしていた笹部静男外何人かで、坪田英和を踏んだり蹴ったりした。

 

 この坪田英和は竹中正久が愚連隊の頃からの舎弟で、竹中組では初代若頭を務めたほどの男だったが竹中正久とはソリが合わなかった。

 

 でも、坪田英和が笹部静男たちに殴られたと聞いた時、竹中正久は笹部たちに「坪田は俺が決めた若頭(かしら)や。その若頭をいわすという事は、俺に刃向うのと同じや。お前らナメとったらいわしてしまうぞ」と云ったそうである。

 

 ・・・竹中正久の薫陶を受けている私は、若頭を殺すという発想が思い浮かばないのだ。

 

 ヤクザ組織というのは盃の重さで成り立っているので上意下達が基本だが、どの組織でもイエスマンだけで運営して行くと必ず綻びが出る。

 時として泣いてでも、親分を諌めなければならない時がある。

 そういう人材を持っている組織は強い。

 

 最後に、私が額に入れて飾っている「教訓」を書こう・・・ 

 

 小才は縁に出合って気づかず

 中才は縁に気づいて縁を活かせず

 大才は袖すり合った縁をも活かす

 

 これが、かの有名な柳生家の「家訓」である。