最近私は、NHKのディレクターと会う機会があった。
どこの局に所属するかは書けないが、この人たちの節度に驚かされるのである。
私も過去、色んなマスコミと付き合って来たがNHKの場合、人に接するマナーが良いのだ。
これは公共事業としての使命感と、本人たちの自覚の賜物だと思うが、それにしても感心させられる。
矢張りトップクラスの会社は凄いと云う事だろう・・・
生きている限り良い人と出会い、良い縁を結び、その縁を人に分け与えられたらどれだけ楽しい人生になるか、考えるだけで愉快だ。
さて、夏本番に入り猛暑日が続く中、私は自宅を自立更生支援の拠点として、色んな面で模様替えをしている。
家の入り口に「五仁會」と大書きした表札を掲げた。
応接間もサッパリ事務所らしくした。
いつでも更生事業に踏み出せるように布石を打ったのである。
矢張り、五仁會絡みで人と会う時は、事務所を見て貰うのが一番だと思うからだ。
最近、中国・ハルピン出身の男から刑務所を出て困っているので、大阪入管局まで面会に来て欲しいと手紙が来た。
私は文面を見て、日本人の心意気を示すのは今だと思い、大阪入管局に面会に行った。
そして身元引受人になってくれ、と云うので気持良く引き受けた。
仮釈放保証金は最高300万円だが、五仁會で出せる範囲の通帳をコピーして入国管理局に提出した。
結果、身元引受人は保証金の問題もあり却下となったが、相手の中国人には日本人の良さを改めて認識して貰えたようだ。
話しは替わる。
今、無期を務めて居る初代古川組・本部長だった小山元啓について相談を受けているのだが・・・
こうして小山のことを書いていると、東京拘置所まで何度か面会に行った頃を思い出す。
私が暴力団組長時代のことである。
小山元啓は事件に関係ないと否認したが、否認のまま共同正犯で無期の判決を受けて服役した。
小山の男気に惚れて堅気の社長が1ヶ月のうち数日、関西から九州の刑務所へ面会に行っている。
私はこの社長から色々聞き、相談を受けた。
小山は現在、暴力団関係者とは一切付き合いはなく、もちろん堅気だ。
古川真澄が死んだ時、激しいショックを受け刑務所の中で出家すると云ったそうだが、この世は「男の中の男」ほど貧乏くじを引くのかもしれない。
余談だが、刑務所の中で小山元啓は私に「叔父貴に宜しく伝えてくれ」と云って来た。
この伝言を聞き、私は胸が熱くなった。
無期刑で苦しむ小山元啓の力になってこそ、私が五仁會を立ち上げた意味があると云うものだ。
どちらになってもヒットマンの哀れさが、ここでも私の胸を打つ。
刑務所の中で、愛する家族との別れというのは死ぬほど辛い。
ヤクザをしていた事を本人も後悔しているようだが、失くしたものが大きければ大きい程、それを痛切に感じるものだ。
もちろん堅気なので古川真澄が死んだ今、古川組から何の援助もない。
人生とは「重い荷物を背負って遠き道を行くが如し」だと徳川家康は云ったが、まさしくその通りだろう・・・
刑務所での生活というのは、地獄で閻魔大王に見張られているようなものだ。
暴力団社会は華やかな反面、刑務所という地獄を避けて通れず、その刑務所で針のむしろに座らされるのである。
日本全国の刑務所が厳しく懲役を管理するシステムに転換された今、犯罪者も再犯を犯すことのないように心を引き締めて社会復帰を目指すべきだろう・・・
コメントをお書きください
友人 (火曜日, 26 8月 2014 08:01)
小山元啓の幼馴染の者です。
やくざの世界はまったく知りませんが
小山元啓が不憫でなりません。
友人では面会にも行けなくなってしまいました。
もう一人の友人が養子縁組で毎月行ってもらってます。
竹垣様のような力になっていただける方が
おられることを知れて嬉しく思い書き込みさせていただきました。
ご活動、陰ながら応援させていただきます。
昔の女 (金曜日, 23 1月 2015)
若い頃小山元啓さんと暮らしてました。
今に至る迄ずっと後悔し未練を残したまま生きて来ました。一度でいい会って謝りたい。
過去 (月曜日, 02 2月 2015 15:48)
初代古川組小山会会長について詳しく知りたい。
沢村 (水曜日, 05 2月 2020 00:27)
新井の親分はホンマに義理難く、古川親分さんの心を引き継ぐ方ですね。
いつまで、お元気でいて下さい。
今は門真市で余生を過ごしております。
渡鹿 (火曜日, 29 11月 2022 21:59)
読んで小山さんという人に感銘を受けた、私も同感です小山さん社会復帰を目指すべきです、その為には健康を第一にして欲しい、陰ながらお祈りして居ります。