無期懲役囚の支援活動

中央で座っている古川真澄の後ろでサングラスを掛けて写っているのは竹垣悟ぐらいのものだろう。私は小山元啓(左から2人目)に、親分(古川真澄)が嫌いなものがサングラスと髭顔だと聞いていた。左から3人目が初代古川組の事務局長だった新井孝寿で、右から3人目が姫路戦争で懲役12年を務めた竹中組出身の初代古川組舎弟だった小島大助である。因みに中央後ろの髭顔の男は、当時私の若い者だった男だ。
中央で座っている古川真澄の後ろでサングラスを掛けて写っているのは竹垣悟ぐらいのものだろう。私は小山元啓(左から2人目)に、親分(古川真澄)が嫌いなものがサングラスと髭顔だと聞いていた。左から3人目が初代古川組の事務局長だった新井孝寿で、右から3人目が姫路戦争で懲役12年を務めた竹中組出身の初代古川組舎弟だった小島大助である。因みに中央後ろの髭顔の男は、当時私の若い者だった男だ。

 最近私は、NHKのディレクターと会う機会があった。

 どこの局に所属するかは書けないが、この人たちの節度に驚かされるのである。

 

 私も過去、色んなマスコミと付き合って来たがNHKの場合、人に接するマナーが良いのだ。

 

 これは公共事業としての使命感と、本人たちの自覚の賜物だと思うが、それにしても感心させられる。

 

 矢張りトップクラスの会社は凄いと云う事だろう・・・

 

 生きている限り良い人と出会い、良い縁を結び、その縁を人に分け与えられたらどれだけ楽しい人生になるか、考えるだけで愉快だ。

 

 さて、夏本番に入り猛暑日が続く中、私は自宅を自立更生支援の拠点として、色んな面で模様替えをしている。

 

 家の入り口に「五仁會」と大書きした表札を掲げた。

 

 応接間もサッパリ事務所らしくした。

 

 いつでも更生事業に踏み出せるように布石を打ったのである。

 矢張り、五仁會絡みで人と会う時は、事務所を見て貰うのが一番だと思うからだ。

 

 最近、中国・ハルピン出身の男から刑務所を出て困っているので、大阪入管局まで面会に来て欲しいと手紙が来た。

 

 私は文面を見て、日本人の心意気を示すのは今だと思い、大阪入管局に面会に行った。

 

 そして身元引受人になってくれ、と云うので気持良く引き受けた。

 

 仮釈放保証金は最高300万円だが、五仁會で出せる範囲の通帳をコピーして入国管理局に提出した。

 

 結果、身元引受人は保証金の問題もあり却下となったが、相手の中国人には日本人の良さを改めて認識して貰えたようだ。

 

 話しは替わる。

 今、無期を務めて居る初代古川組・本部長だった小山元啓について相談を受けているのだが・・・

 こうして小山のことを書いていると、東京拘置所まで何度か面会に行った頃を思い出す。

 

 私が暴力団組長時代のことである。

 

 小山元啓は事件に関係ないと否認したが、否認のまま共同正犯で無期の判決を受けて服役した。

 

 小山の男気に惚れて堅気の社長が1ヶ月のうち数日、関西から九州の刑務所へ面会に行っている。

 私はこの社長から色々聞き、相談を受けた。

 

 小山は現在、暴力団関係者とは一切付き合いはなく、もちろん堅気だ。

 

 古川真澄が死んだ時、激しいショックを受け刑務所の中で出家すると云ったそうだが、この世は「男の中の男」ほど貧乏くじを引くのかもしれない。

 

 余談だが、刑務所の中で小山元啓は私に「叔父貴に宜しく伝えてくれ」と云って来た。

 この伝言を聞き、私は胸が熱くなった。

 無期刑で苦しむ小山元啓の力になってこそ、私が五仁會を立ち上げた意味があると云うものだ。

 

 どちらになってもヒットマンの哀れさが、ここでも私の胸を打つ。

 刑務所の中で、愛する家族との別れというのは死ぬほど辛い。

 

 ヤクザをしていた事を本人も後悔しているようだが、失くしたものが大きければ大きい程、それを痛切に感じるものだ。

 

 もちろん堅気なので古川真澄が死んだ今、古川組から何の援助もない。

 

 人生とは「重い荷物を背負って遠き道を行くが如し」だと徳川家康は云ったが、まさしくその通りだろう・・・

 刑務所での生活というのは、地獄で閻魔大王に見張られているようなものだ。

 

 暴力団社会は華やかな反面、刑務所という地獄を避けて通れず、その刑務所で針のむしろに座らされるのである。

 

 日本全国の刑務所が厳しく懲役を管理するシステムに転換された今、犯罪者も再犯を犯すことのないように心を引き締めて社会復帰を目指すべきだろう・・・