天皇の世紀・田中河内介を偲ぶ

高砂・鹿島殿にて細工師・長尾龍とカラオケ発表会に招待され、飛び入りで唄うことになった竹垣悟。エントリーは、高倉健の唐獅子牡丹。柄にもなく花束を受け取って「親に貰った大事な肌を・・・」と唄い出すのだ。
高砂・鹿島殿にて細工師・長尾龍とカラオケ発表会に招待され、飛び入りで唄うことになった竹垣悟。エントリーは、高倉健の唐獅子牡丹。柄にもなく花束を受け取って「親に貰った大事な肌を・・・」と唄い出すのだ。

 昭和時代にやくざになった者ならいざ知らず、今の時代に暴力団に所属している人間は、ほとんどと云って良いぐらい惰性に流された人間だ。

 いつでも自分の命を捨てられるという理性の強い人間は、今や暴力団対策課の刑事によって潰滅させられた。

 

 仁侠道とは、それだけ険しい道になったと私は思うのだが・・・

 

 私は、しがないボランティア団体の代表だが、少しだけ人より大きな志しを持っている。

 

 その志しが、裏側で舞台を支えて行けると云う見本を私が示す時が来たのだ。

 

 今の時代に反社会的集団が存在していること自体、世の中の不条理だと私は思う。

 

 組を抜ければ弱い自分を曝け出すようで怖い、というのが実像だろう・・・

 

 刑務所に入って自分の立場を振り返る時、人間の弱さを知ることになる。

 国家にとって暴力団とは、そんな弱い立場だろう・・・

 

 今まさに男として、自分の道を切り拓くべき時代が到来したのだ。

 

 集団的自衛権が閣議決定したいま、暴力団組織は侠客として蘇る時代が来た。

 

 金も無く、虚しく落ちぶれて行く反社会的組織に居て何が求められるのか?

 

 やくざにとって堅気になっても受け皿がなく、今更堅気になれないというのが本音だろう・・・

 

 私にはそれが良く分かるのだ。

 

 ・・・私は当初、本を出したいと思った。

 しかし自分の文章を読むと、金の取れる文才はないと思った。

 要は、本を書いても売れない文しか書けないのだ。

 

 だから後学の為に、こうしてブログを綴っている。

 

 これが私に与えられた天命だろう。

  

 私のような欲のない男が、時代を動かせるのかも知れない。

 

 私は将来のある若者を「義竜会」という看板で縛って来た。

 そして、その若い者たちの親を泣かせて来た。

 これは私の人生に於いて責めるべき過去であろう・・・

 

 いくら元ヤクザが格好の良いことを書いても所詮、絵に描いた餅なのだ。

 

 それぐらいは私にだって分かる・・・

 

 私のような男に興味を持って貰えるなら、世の中の悪を眠らせるような社会を実現して貰いたい。

 

 ・・・口先だけで人を騙す奴。

 オレオレ詐欺で、人の情けを踏みにじる奴。

 暴力団の組長というだけで、踏ん反りかえっている奴。

 

 こんな奴が世間にのさぼっていること自体、世の中がおかしくなった証拠だ。

 

  話題を替える。

 人間困った時に神頼みをすると云うが、全くその通りだろう。

 私も生死の淵を彷徨った時、そんな経験がある。

 

 人間の本性というのは弱いものだ。

  

 私が暴力団という組織を離れて、ひとりのおとこ として自分を見つめ直すと、色んなものが見えて来る。 

 命より大切なものがあると、この歳になって初めて分かった。

 

 神とは、人類最大の知恵にして、偉大なる魂の集約所である。 

 

 私は、いつの頃か目に見えぬ神に向って恥じる心こそ、人の心の誠だと思った。 

 あれっ、これは明治天皇の御製の一部だったっけ。

 

 あの世が近くなった分、神の存在も近くなったのだろう。 

 

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コメント: 1
  • #1

    五仁會 理事長 宮前篤 (月曜日, 07 7月 2014 14:47)

    このコメントを読んでるアンタ!
    やくざを止めたら五仁會に来たらええがな。
    少しでも世の中に役立てる様にみんなで頑張って行こうや。
    俺は、大西組の若頭として18年間服役した。
    そして出所して、たった3ヶ月で山口組と決裂し、勲章を捨てた男や。
    その俺が竹垣悟という男に惚れて、額に汗して頑張っとるんや。
    あんたも一緒に頑張ろうやないか。
    山平重樹著の「心を奮い立たせる仁義なき戦いの名セリフ」には感動した。
    山口組の為に、否認で獄中18年を務めたけど無駄な懲役やった。
    竹中組が無いようになってしもたからや。
    この本を読んで俺の身の上が、少しは理解出来たよ。