その男 天下に秘めたる野望あり

写真 姫路市役所・市長室の前のホールに飾ってある黒田官兵衛の備前焼。
写真 姫路市役所・市長室の前のホールに飾ってある黒田官兵衛の備前焼。

 新成長戦略骨子案として女性の活躍を推進・・・と、6月11日付の朝刊に出ていた。

 

 国家の戦略としてである。 

 大変な時代になったものだ。

 

 暴力団や半グレ集団に女性はいない。

 だとしたら、アメリカのように組織犯罪処罰法より強力な「結社の自由」が認められない国になるかもしれない。

 

 将来我が国に女性宰相が誕生すれば、お隣のどこかの国のように、男にとっては理解しがたい政策がきっと推し進められるだろう・・・

 それが、いまのニッポンと云う国が抱えるジレンマであり、大いなるストレスの一因でもあるのだ。

 

 ジャーナリストである櫻井よし子のような例外もあるが、おおむね日本の伝統は男から男へと受け継がれて来た。

 しかし武士道と云うのは何も男の世界だけではなく、むしろ女が支えて来た部分もあったのだ。

 山本周五郎の描く日本帰道記(新潮社刊)が、その情景を綴った最たるものだろう・・・

 

 こんな事を考えると国家戦略を私如き男が語るのも憚れるので、この話はこれで措く。

 

 さて、このあと何を今回の話しの題にすれば良いのか、思案しつつペンを進めている。

 このブログを読んでいる人が一番知りたい事は、一体何だろうか・・・

 

 私が獄中や、ヤクザ社会で覚えた教養など誰も興味はないだろう。

 ましてや元暴力団組長の素養となると尚更だ。

 

 そう考えると最近ブログを書くのも少し、くたびれて来た。 

 読み手は十人十色で結果私がいくら一生懸命書いても、人の心を掴めるのは、ほんの僅かだからだ。

 

 この文章を一冊の本にして、後世に残る活字にして行けば、人の受け止め方も少しは違う方向になるだろう・・・

 それは私自身、良く解かっているのだが・・・

 

 ・・・いくら現実をリアルに書いても、つまらん読み手がひとりでも居ると、気を張って書くと云う緊張感が、なぜか虚しくなる。

 

 でも、このブログを読んで、その人なりの意見を述べてくれるのは、私にとっては有り難いことである。

 

 世の中とは万事、歴史の繰り返しであり、男が女のように、かしましくなったのは新しい時代の到来なのだ。

 

 それは、夜明け前の喧騒と同じだと云うが全くその通りだろう・・・

 

 こんな時代に、人の動きを止めようとするかの如き、負け犬の遠吠えというのは共感を呼ばない・・・

 

 今、このブログを読んでいる君はどう思う?

 

 人と云うのは明るい太陽の下で、思いっきり心の屈折を矯正したいものだ。

 伸びやかに自分の言葉で喋ってみたい生き物なのだ。

 

 さて話しは変わるが、男と云うのは家から一歩外へ出れば七人の敵が居ると、むかしの人は云ったそうだが最近でも、そんな事があるのだろうか・・・

 男の焼きもちに気を付けなければいけない時代になったので、それも有り得るかも知れない。

 

 そんな事を考えると、人の世の定めと云うのは、つくづく因果なものだと思う・・・

 でも私は播州人らしく、これからも律儀に生きて行くだけだ。

 

 今、ひめじで最も旬な男がNHK大河ドラマの主人公「黒田官兵衛」である。

 この官兵衛は野心家だったが、その反面律儀な男でもあったようだ。

 

 その官兵衛の備前焼が、姫路城の鯱(しゃちほこ)を作った男として有名な、長尾龍の手によって製作された。

 自民党・竹中隆一議員が議会の会派の人達と、名古屋の川村たかし市長を表敬訪問して贈呈したものが、この長尾龍の作品だ。

 

 余談だが、この長尾龍たちと姫路三大祭りのひとつである、ゆかた祭りの最終日、6月24日(火)・2時から姫路キャスパホール7階で開催される「飛松塾」主催の、終わらないオウム・上祐史浩講演会を聞きに行くつもりだ。

 

 上祐史浩は現在「ひかりの輪」と云う教団を立ち上げて活動しているが、実態はどんなものだろうか・・・

 

 上祐氏は、オウム事件で1995年10月に懲役3年を宣告され、広島刑務所で服役した経歴を持つ。

 受刑者として、犯罪者を身近に見て来た人でもある。

 

 犯罪者の更生支援を掲げる五仁會としては、そんな経歴を真正面から見つめてみたいのだ。

 

 こんな幼稚な事を云ってるから、いつまで経っても拙い男なのだ。

黒田官兵衛を手にする中央左・名古屋 川村たかし市長と竹中隆一議員 それに姫路の自民党会派の人たち。
黒田官兵衛を手にする中央左・名古屋 川村たかし市長と竹中隆一議員 それに姫路の自民党会派の人たち。