昭和極道伝 ヤクザの登竜門

昭和52年・刑務所と云うヤクザの登竜門をくぐる前の竹垣悟
昭和52年・刑務所と云うヤクザの登竜門をくぐる前の竹垣悟

 私が刑務所に始めて入ったのが、昭和52年の秋祭りが始まる前だった。

 

 この時私は26歳であり初犯だったので、普通なら姫路少年刑務所へ護送されるのだが現役の暴力団だったので、B級の再犯刑務所として名高い地元の神戸刑務所へ押送されたのだ。

 

 私は少年時代から少年院とか少年刑務所に入ったことがなかったので、この時の刑務所生活が或る意味ヤクザ社会での登竜門となった。

 その分、刑務所生活に慣れるまで少し時間が掛かったが・・・

 

 私の刑務所生活は、第8工場で作業服を作る工場がスタートとなった。

 

 正担当は若手で無口を絵に画いたような刑務官・佐藤かつみだった。

 

 そのあと直ぐに通称キューピーと呼ばれた懲役に人気のあった河野(かわの)と云う刑務官に替わった・・・

 

 その工場には、初代山健組内極心連合を名乗っていた橋本弘文こと姜(きょう)弘文が、すでに兵隊でいえば古参兵のような感じで居た。

 

 刑務所という所は通名で呼ばず本名で呼ぶ。

 だから私も姜(きょう)さんと呼んでいたのだが、何事にも真面目で一生懸命 雨降りに着るカッパを縫製する作業を黙々とこなしていた・・・

 

 この頃 姜弘文は山健組内では平の若中だったと思うが、しっかりした男だと云う印象が強い筋金入りの極道だった。

 工場には2~3人の若い者を刑務所で拾い自分の若い衆としていた。

 

 私は始めての懲役だったので、刑務所生活のイロハが分からず妙に意気がっていたように思う。

 

 姜とは新入りで入ってから少しの間、一緒に第8工場で務めたのだが余罪が出たとのことで京都拘置所に移送された・・・

 それっきり私の居る間には、神戸刑務所に戻ってこなかった。

 

 この時、一緒の工場に「キャッツアイ事件」で後年有名になる、東組内二代目清勇会・副会長 古川と云うのが居た。

 

 私はこの男が、川口和秀率いる二代目清勇会の副会長だと出所後何年かして知り、驚いた記憶がある。

 

 残念乍ら、この男とは同じ工場に居て一回も話すことがなく呆気ない縁だった。

 

 若気の至りだが、私には大崎組との抗争事件で服役していたというプライドがあった・・・

 

 ・・・私はこの懲役に行く前に、親分・竹中正久に「懲役から帰って来たらサトルも俺の若い衆やのう」と云われていたので、少し背伸びをして務めていたのは確かだろう・・・

 

 何分 始めての懲役なのでトッパな面ばかりが出て、大阪の西成で土方をしているという再犯コテコテの男に一度腹が立って頭に来たことがある。

 この男が満期風を吹かしたのだ。

 

 ・・・その場は辛抱して、夜中に起きて箸を二本持ち、その大岩という男に「オッサン起きんかえ」と云って起こし、刑務官が巡回しない時間を見計らって大岩の足下あたりを軽く蹴り起こして「オッサン、俺に文句あるんやったら、いま云うてみい。なんや・・・」と云って箸を大岩の目を見つめ、いつでも目玉に突き刺すような気魂を持って話した。

 

 すると大岩は「あんたがあんなことで気を悪くしたんやったら謝るわ。えらいすんまへん」と云って来たので私もそれ以上ことを荒立てる必要もなく、刑務所へ入っての一回目の腹立たしさは何とか私の面子も立ち、収まった。

 

 刑務所の中でもナメられないように務めるには、時として夜中に奇襲攻撃を仕掛ける必要があると、この時しみじみ思ったものだ。

 

 世の中も一皮むけば、何事があってもその場は辛抱し、お互いカッとなったのが冷めてから事を起こすと案外自分の絵図通りに行くものである。

 

 どんな場面でも腹さえ括っておれば「山より大きな獅子」は出ないので、その物事に気負けすることはないのだ。

 

 幸い私は5回の懲役で一回も人と喧嘩をしたことがない・・・

 

 私は初犯の時に服役して帰って来てから、次の懲役ではこういう務め方をしようと考えた。 

 刑務所に入ったら、先ず何かあったら鉄砲玉として飛ばせる若い者を必ずひとりは私の若い衆にすることだ。

 

 要は刑務所の中でも私の為に体を張る鉄砲玉を、いつでも用意して懲役を務める算段をしていたのだ。

 

 人生勝負とは一回しかない人生を生き抜くことなのだ。

 もちろん負ける勝負はしないに越した事はない。

 

 今の時代、自分の信念を持った生き様を人が認めてくれたら勝ち組につながるのだ。

 

 お互い勝ち組の人生につながるように、今までの経験を駆使して頑張りたいものだ。

 

 ・・・これからの人生は、若い頃に見た夢を実現するのが私に与えられた天命だと思う。

 男の人生の終章には功成り名を遂げることが、男子たる者の究極のテーマなのだ。