5月11日(日曜日) 午後3時から故・竹中正組長の四十九日法要に、山一抗争で懲役16年・通算18年を獄中で過ごした竹中組 生え抜きだった宮前篤 五仁會理事長と共に出席した。
私の息子6人も、歴史の証人として連れて行った。
その他、竹中正組から竹中武組長の直参になり、武組長の最後を看取った小林三郎最高幹部たちも来ていた。
そして小林三郎たち竹中組々員と一緒に竹中正の冥福を祈り、手を掌わせて来た。
焼香の順番が来て、手を掌わせて目を瞑っていると、私の極道としての過去が次々と走馬灯のように浮かんでは消えた。
・・・私が極道になって、一番最初に持った親分が坂本義一である。
その坂本義一の遺骨と共に、四代目 竹中正久親分の菩提を弔っているのが私だ。
私は親分達が黄泉の国に旅立ったあとも生前の遺徳を偲び、冥福を祈っているのである。
そんな私にとって竹中正組長は、忘れられない親分のひとりだ。
思えば直接盃はなかったが、私が極道をしてから何かと縁のあった人である。
竹中組も存続するなら四代目になる訳だが、私は堅気なので誰が跡を継ごうと関係ない話しだ。
私も還暦を過ぎたいま、極道社会に対して何の野心も無い。
・・・今後竹中家とは付き合うが竹中組とは一切関係なく、社会正義の旗印のもと五仁會代表として、世の為・人の為になるように過ごして行くつもりだ。
・・・四代目山口組になった頃からだろうか、山口組の当代を出した組織にとって飽くまでも、当代の出身母体以外は外様でしかないようになった。
徳川家康が江戸に幕府を開いた時、外様大名というのは往々にして幕府に対して発言力がなかった・・・
云ってみれば、徳川家康子飼いの直参旗本衆より一段弱い立場の席が外様大名だったのである。
・・・ヤクザの世界も当代の出身母体以外は同じ山口組でも、丸っきり別の組織なのだ。
だからいつの頃か、自分の行きたい組に行かせず、山口組本部の意向として二代目を立てて組織を存続させるようになった。
・・・山口組の中でも当代を取った組の派閥に連なる組織は勝ち組で、それ以外は負け組でしかないのだ。
一旦、負け組になったらその組が解散するか、自分が堅気になるまで一生負け組でヤクザをして行かなければならない・・・
この政策は、むかし江戸幕府が執った政策と類似性が多い・・・
・・・そんなカラクリは五代目山口組になって少し経って山健組や中野会以外、ほとんどの組員が分かりかけて来たのだが、五代目・渡辺芳則の名跡に押された。
それにその頃はまだバブル景気が華やかしき頃で、金の重みが物を云う時代に突入していた。
だからどんな不条理な事でも鷹揚に受け入れて来た。
六代目に代替わりしても当代を取った組織への不満が、深く掘り下げて考えられる間もなく次々と粛清の嵐が吹いて行き、今に至ったのである。
でも、こう暴排条例が各分野に浸透して行けば金銭面での余裕がなくなり、山口組と云う代紋を笠に着るメリットがなくなって来た。
それを皆が漸く理解し始めて来たようだ・・・
だから私は、ここ数年の内にヤクザ社会も不良債権だけが残ったような負債型組織になって行くように思う・・・
それは組織犯罪処罪法という法律が適用されるようになって来たのが大きな要因だ。
この法律は暴力団に対して、ありとあらゆる犯罪に適用可能なので、この法律がある限り、いつ誰にこの法律が適用されるか分からないのだ。
余談だが・・・
検察当局が暗黙の共犯関係を認定するだけで、裁判所は検察側の主張に沿って判決を出す時代が到来したのである。
以前は民事訴訟法第185条で、事実認定は裁判官の自由心証に任せるとあったものが刑事訴訟法にまで波及されるようになった。
その余波をもろに受けている画期的な判決が最近は多くなった。
そう云う判例が、ここ最近散見されるのだ。
山口組直参は云うに及ばず二次団体の若頭まで一審で無罪を勝ち取りながら、控訴審で逆転有罪となり懲役20年の実刑判決が下りる時代になった・・・
疑わしきは罰せずと司法の世界ではむかしは云ったが、今では疑わしき人物・ダーティー・グレーは罰するべしに変わって来た・・・
その時代の変革が読めなかったばかりに、暴力団組織は国家権力の後手に回っているようだ・・・
現実を認めるのは月日が必要だが、この事を肝に銘じる時代が再来したのは確かだろう・・・
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