竹垣 悟の時事評論

安全 安心の街づくりのパトロールをする竹垣悟。この姿を見て私を知って居る人は、普通のおっさんだと笑うのだ。自分乍ら稚い男だと思う・・・
安全 安心の街づくりのパトロールをする竹垣悟。この姿を見て私を知って居る人は、普通のおっさんだと笑うのだ。自分乍ら稚い男だと思う・・・

 自慢話と云うのは聞いていて決して気分の良いものではないが、活字に出来る知性と少しだけの教養があれば、人の見方も少しは変わってくるだろう・・・

 

 ・・・私が書く文章に対して半分の人は批判的であり、あと半分の人は、よくぞ書いてくれたと称賛してくれて居ると思う・・・

 

 そんなナルシズム斯(が)かった自慢話も、そろそろ幕引きにしなければと思うが、これだけは是非書かなければと思いペンを執った。

 

 今まで何回となく述べて来たが、四代目山口組々長・竹中正久親分の遺骨を五輪塔に納め、菩提を弔って居るのは、何の因果か世間広しといえども私ひとりだけだろう・・・

 

 こんな竹中正久の猛烈な信者なので、親分が命を懸けてまで守ろうとした侠道精神を私なりに解釈しながらこのブログを綴っているつもりだ。

 

 男なら誰でも云いたいと思う言葉をサラッと云うので私の場合、名無番長とかには反感を持たれるのだろう・・・

 その反感を私自身バネにして、今日まで男でありたいと思い生きて来た。

 

 私の拙い能書きはこれぐらいで置き、本題の時事評論に入る。

 

 ・・・去る3月13日に二代目英組々長・藤田恭道が絶縁されたと報道された。

 

 私は先代の英 五郎組長は好きな極道のひとりだったので、二代目英組のことも気になっていた・・・

 まさか新進気鋭と云われた二代目が絶縁になるとは夢にも思わなかった。

 

 ・・・私が古川真澄に付いて堅気になった時、当時英 五郎の秘書をしていた者に「わしも竹垣みたいな若い衆やったら欲しいわ」と云ってくれていたそうだ。

 

 ・・・後味の悪い話しを書くが、この二代目英組を例に取るまでもなく、なんで当代が引退するのに二代目を無理して作る必要があるのか、私は理解に苦しむ。

 今まで一生懸命当代に付いて来て、その当代が引退したら若い者は自分の好きな組に行かせてやるのが人情だろう・・・

 

 同じ山口組でも、強い組と弱い組がある。

 今まで弱い組で苦労して来た若い者には、私は次は強い組に入って弱者救済をして貰いたいのだ。

 

 人には運否天賦(うんぷてんぷ)がある。

 その中には親運も含まれる。

 

 私は同じ極道をするなら良い指導者の下で男を磨かせてやりたい。

 そして侠客と呼ばれるような極道になって貰いたい。

 

 私が云わんとすることは、男の世界を知る者なら誰しもが思うことではないだろうか・・・

 

 恥ずかしい話しだが私は暴力団時代、心ならずも親方を何回か変えた。

 長い間極道をして居れば、持った親方が山口組を破門になったり絶縁になったりする。

 

 その親方が山口組を出たなら、その親方に付いて行くのも男の道だが、私に惚れて極道をして来た者の事を考えれば、恥を忍んで山口組に戻る事もまた男の道なのだ。

 

 私は竹中武親分が山口組を出た時、それをつくづく思った。

 

 惚れた親方が山口組を出たからといって、それまで山口組(田岡一雄)の偉大さを誇りに思って極道をして来た者が、そう簡単に反山口組に変われるものではない。

 

 男なら誰だって強い者に憧れ、出来ればその強い人の下で男を磨きたいと思うものだ。

 それが男としての持って生まれた本能ではないだろうか・・・

 

 ・・・弱い者はどこかで強い者に媚びる習性がある。

 ヤクザの親方でも、弱い親方は強いヤクザに媚びる場合がある。

 

 私は持った親方の、そんな光景を見るのが耐えられない男なのだ。

  

 ヤクザをすると云うのは、命を懸けて男の一分を守ると云うことである。

 その男の一分を守るべき親方が頼りなかったら、世の中は真っ暗闇の世界になってしまう。

 

 だから私は暴力団は侠客になれと云っているのである。

  

 ・・・男が人より変わった事をすれば変人と見なされ、時には変節漢と云われたりする。

 

 しかし私は信念を持って、暴力団員と犯罪者の自立更生支援をしているつもりだ。

 

 極論だが私はこの先、江戸時代庶民の憧れの的だった男の中の男・播随院長兵衛のような筋道のしっかりした堅気の一匹狼を育てて行きたいと思って居る。

 

 私の云う暴力団は侠客になれと云うのは、こういう事なのだ。

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コメント: 3
  • #1

    タイガーマスク (月曜日, 24 3月 2014 22:06)

    生意気を承知でコメントさせて頂きますが、ヤクザの世界以外にも本当の侠(おとこ)の生き方はあると思います。

    つらい事や嫌な事があっても、愛する家族のために、ぐっと我慢して仕事をするサラリーマンもある意味、立派な侠(おとこ)の生き方だと思います

    相手が怖くて我慢するのでは無く、愛する女房・子供のために我慢するなら立派な侠(おとこ)道だと思います

    自分自身に恥じる事が無いなら争い事を避けるのは恥ずかし事では無いはずです

    そして、少しだけでも世の為、人の為に社会に恩返しが出来れば侠(おとこ)だと思います。

  • #2

    藤田恭道 (日曜日, 22 6月 2014 15:47)

    竹垣様、お初に掛かります、貴殿が仰る無理に?作ったと云われる二代目英の藤田と申します。私本人も今回の処遇には憤りを感じております。生意気を云わせてもらえばヤクザの世界で聖人君子なる者は存在しますか?人は色々な失敗を繰り返し成長するものだと親分(英 五郎)に教わりました。その代表的な教えで『人は皆メッキである。そのメッキを剥がさないように努力した人が純金で死ねるんや』私自身その努力の過程でヤクザとして生きる道を絶たれました。これはただの負け惜しみかもしれませんがこれが山口組の先人の教えなのでしょうか?先輩方に聞きたいものです。

  • #3

    竹垣 悟 (月曜日, 23 6月 2014 07:22)

    私は英五郎先輩の人柄が好きで、色んなエピソードを秘書をしていた者から聞き、また知識人としての教養も聞いて居りました。
    英先輩は、私が好きな親分でした。
    私が破門になってからでも、年賀状とか暑中見舞いをくれた数多い親分衆のひとりです。
    私も事務所に送っていたので、二代目も私のハガキを見たことがあると思います。
    私と英先輩の深い縁を、電話でも頂いたら話します。
    今回のコメントに心が動きました。
    私は現役時代、上部団体から処分されるのを承知で或る意味、ヤクザとしての事犯は更生を信じ、若い者を私の懐の中で温めて来ました。
    竹中正久の教えがそうでした。