
私が本を出すと云う話しだが「幻冬舎に、そんな度胸のあるスタッフは居ないので無理だ」と云われた。
そして「売れる」「売れない」は出版会議で決めることなので書き手が、どうのこうのと云うべきではないとも云われた。
成る程、そう云われてみればそうだが、タブーに挑むには度胸が要る・・・
月刊宝島の3月号を見た・・・
表紙に怒涛の新連載 元大物組長・後藤忠叡「俺に言われちゃおしまいだ」と書いてある。
早速そのページを捲(めく)り、水平思考で読んでみた。
読んでみて驚いたのは、私が思うことをズバリ!核心を突いて云っていることだ。
「靖国神社には天皇陛下だって参拝に行きたいんだよ。ただ、14人のA級戦犯を靖国が合祀(1978年)したもんだから行けないんだ。原爆を落とされるまで無茶な戦争を続けた責任者たちを英霊として拝む訳にはいかんだろ」と云っているが、全くその通りだと思う。
・・・今回安倍晋三首相が靖国神社を参拝したことについてアメリカのオバマ政権は「失望した」と表明したが、これは極東情勢に追従したものだ。
人間と云うものは、人それぞれ考えが違う。
思想も違えば持論も違う。
これは自立した人間として、当然のことだ。
その持論を封じ込めると云うのは、言論の自由に反することなのだ。
その時代のトップが世の中の流れを読み、時代に沿った政策を打ち出して行くべきだと私は思う。
今回の靖国問題も然(しか)りなのだ。
何事も一国のトップ(首相)が決断したなら、それを支えて行くのが同胞であり日本国民の責務である。
そしてトップの決断が間違って居れば又、選挙で信を問えば良いのだ。
私は安倍晋三首相に男の背中を見る思いがする。
共産党はともかく、他の野党に対して私は云いたい。
自分の政治生命を賭ける度胸もないのに、何でも反対をいうなである。
国会議員がいくら国民の代表だからといって、比例区で選出されたのに、その支持してもらった団体を離れ、政治家顔(づら)をする。
こんな筋違いの代議士を国会議員と呼んで良いのか!
私には亡国の輩(やから)としか思えないのだ
・・・アメリカの今回の「失望」は、戦犯として14人を絞首刑にした極東国際軍事裁判(東京裁判)そのものを否定したことにつながるので、そうした懸念を払拭するためのものだと私は思っている。
そしてまた、今後の中国・韓国・北朝鮮との友好の歪(ひず)みに歯止めをかける狙いがあると見ている。
こんな場合「過ちは改めるに憚(はばか)ることなかれ」と論語・学而にあるように過ちを犯してしまったら、ためらわずにすぐ悔い改めることだ。
それこそ後藤忠叡師が云うように「とっととA級戦犯を、もといた熱海の墓に戻した方が日本の為だ」と云うのは至極当然のことだろう。
私もつくづくそう思う・・・
故人もきっと、安らかな眠りを望んでいる筈だ。
極論を云えば、靖国神社の枝分かれした分社を造れば済むことではないのか・・・
ニッポンの将来のために、ここは安倍政権の踏ん張りどころである。
私は分祀問題は、安倍政権だからこそ出来る政策だと思う。
政教分離原則と云うものが足枷(あしかせ)になって居るのは、否めない事実だ。
それを承知で、敢えてこの問題に真摯に取り組めば良いのである。
吉田松陰ではないが、強く逞しい祖国ニッポンを作るためには、もっと強い人間を作って行かなくてはならない。
口だけ達者で、言動が一致しない軟弱な男を作って行くのが真の男女同権なのだろうか・・・
私は日本国が国際貢献するには、同盟国アメリカの武力抜きに何も語れないと思う。
そう考えれば、靖国問題の根を絶つべき時がいま来たのだ。
時代の要求とは、そう云うものだろう・・・
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