人生劇場 香車編

 私が五仁會の認可を受けて、この1月20日で丸二年が過ぎた。

 

 この期間私は、一体何を社会に貢献して来たのだろう・・・

 

 私の活動によって、世の中が少しでも動いたのだろうか・・・

 

 熟々(つらつら)考えるに、私は少なくても日本列島に、人がひとり入れるぐらいの大和魂は残して来たつもりだ。

 

 右翼も左翼も祖国愛と云うのは同じではないだろうか・・・

 

 日本人に先祖を敬(うやま)うと云う概念が存在する限り、我が祖国ニッポンは永遠に栄えるのである。

 国体護持とは、そう云うものだろう。

 

 ・・・私は幻冬舎から本を出したいと思って、以前このブログに書いた。

 しかし幻冬舎からの返事は「ノー」だった。

 

 最近友人が「もうそろそろ本を出せるだけの文章が出来たやろ」と云ってくれたが、私は「出しさえすれば良いというものじゃない。出した限り、売れなければ意味がないんや」と相変わらず私の持論を口にした。

 

 だって、そうだろう。

 本を出す気になれば、自費出版だって可能なんだから・・・

 

 私は自己満足で、私が魂を込めた文章を一冊の本として世に出したくないのだ。

 

 それぐらい私は自分の文章に愛着もあるし、何よりも男が一旦こうだと決めたら、矢が飛んで来ようが、鉄砲の玉が飛んで来ようが、真っ直ぐ思った通り進まなければ駄目なのだ。

 

 断じて行なえば鬼神もまた是を避く・・・と云うことわざを私は信じ、精神的支柱のひとつにして来たから、こんにちの私があると思っている。

 

 ・・・私のこんな考えは、流れて行く浮世にそぐわないと思い、12年間止めていた酒をまた飲み出した・・・

 そしてビールしか飲むまいと決めて3回ぐらい飲んだのだが、えらいもので、たった3回で躰が音(ね)を上げてしまったのだ。

 

 私は思い込みの激しい男で、一旦こうだと決めたら自分でも嫌(いや)になるぐらいの真っ直ぐ男なのである。

 

 こんな私だが、泥水でも飲める体質だが情けない話しが、将棋で云えば「香車」のように真っ直ぐしか行けない男なのだ。

 それぐらい不器用な男として、この世に生まれて来たのだと思う・・・

 

 時にはゴロンと横になり、裏向きに引っ繰り返って「と金」にならなければと思うのだが、いつまで経っても「香車」のままである。

 根っからのサムライ魂が生命の隅々まで行き渡って居るのだろう・・・

 

 悲しい宿命に生まれたものだ。

 

 ・・・12年間止めた酒でも飲んで偶には酔って大言壮語し、天下国家を論じてみたいと思ったが、酒を飲めば自分の正体を更け出すようで、折角今まで頑張って来た人生が「酔生夢死」で終わると思い止めた。

 

 思えば私は、あかんたれな男である。

 

 あと一回の人生勝負が酒を飲んで、面白おかしくやれないのだ。

 幅広く、もっと「ええかげん」にやればいいのだろうが、その「ええかげん」が出来ない男である。

 

 何と細った鑓(やり)になったのだろう・・・

 

 鑓(やり)と云う字を辞書で引くと「将棋で香車(きょうしゃ)」と出ている。

 

 成る程、私はどこまで行っても押して突いての、途中で曲がれない真っ直ぐ男なのだ。

 

 酒を飲んだら、その真っ直ぐが、どうしようもなく真っ直ぐ人間の極(きわ)みになる。

 そして「ドカン」と何処かに当たって突撃隊のような火の玉になって砕けて行く。

 

 ああ、人間とは何と弱い生き物だろう・・・

 

 酒の一本ぐらいで理性が薄れ、本能の赴(おもむ)くままに流れて行くのだから・・・

 

 こんな事を考え出すと、やっぱり私にとって酒は、キチガイ水でしかないのかも知れない。

 

 何事も人生ほどほどにと云うが、私はそのほどほどが出来ない人間なのだ。

 

 やると思えば どこまでやるさ これが男の魂じゃないか・・・

 

 人生劇場の一節が、人生の終わりまで付いてまわるとは、悲しい因果を背負ったものだ。

 

 因みに今日は、竹中正久の30回忌である。

 

 忙(せわ)しなく東京から帰り、今から姫路中部霊園まで線香をあげに行くところだ・・・合掌