2ちゃんねるに書き込む豚野郎に天誅を下す!

靖国神社にて、神風特別攻撃隊が乗った0戦の前で国家安泰を願う竹垣悟
靖国神社にて、神風特別攻撃隊が乗った0戦の前で国家安泰を願う竹垣悟

 何年か振りに、2ちゃんねると云う程度の低い掲示板を見た。

 

 自分の名前も名乗らず他人の悪口ばかりを書いて、それで満足して居る人間が世の中に居ると知り、愕然とした。

 

 ・・・自分の正体を明らかにして人を批判するのは分かるが、自分は批判した相手に何をされるか分からないので、身元を明かさないと云うのは、どう云う神経なのだろうか・・・

 

 こんな意気地(いくじ)の無い奴が、この世に存在すること自体、私には許せないのだ。

 この2ちゃんねるで何人の人が泣いて居るのかと思うと、私の正義の刃(やいば)が泣けるのである。

 

 男なら正々堂々と相手の非を責め、世の中を良くして行こうと云うのなら分かるが、ただ一方的に相手の悪口ばかり書いて居るのでは話にならない。

 

 こんな2ちゃんねるを取り締まる法律がないようでは、日本の国もたいしたものではない。

 

 2ちゃんねるに書き込むケツの穴の小さな男に云っておきたいのだが、日本人なら正々堂々と本名を名乗り相手に斬り込めと云いたい。

 

 私は確かに、アウトロー達に云わせれば、国家(警察)寄りの活動をして居る。

 云わば鬼平こと、長谷川平蔵の手下のようなものだ。

 

 暴力団や犯罪者を更生させ、明るく住み良いまちづくりを推進させて居るのは事実だが、私は国から助成金等一切貰わず身銭を切って、それこそボランティア精神そのままで、安全・安心のまちづくりをして居る・・・

 私のこの活動がうらやましいなら、貴様もどこかの団体に入って活動をすればよいのだ。

 

 いつも云って居ることだが、私は別に長生きしたいとは思わないので私如きの命なら、いつでも捨てる覚悟でいる。

 今更この世に未練はないのだ。

 

 長い間、生死を賭けて極道社会に生きて来たので、私の小さな命など国の為なら、どこで捨てても惜しくないのである。

 

 私は野村秋介のように、男としての死に場所を探して居ると云った方が早いかも知れない。

 

 10数年前より酒も煙草も止め、ギャンブルは性に合わないので全然しない・・・

 また女も駄目で、これ以上生きて居ても男としての楽しみは、これと云って無いのである。

 強いて云えば、鳩を愛する事ぐらいだろうか・・・

 

 この世に楽しみが無くなった老骨が、長生きしたところで何の意味もない。

 下手をすれば、晩節を汚すだけなのだ。

 

 それよりも、まだ元気な内に祖国日本の為に尽くしてみたいと思うのが私の夢なのである。

 

 只、生きて居るだけで世の中の役にも立てないようなら、これは男として、この世に生まれて来た甲斐が無いと云うものだ。

 

 折角、日本精神を受け継ぎ、こよなく美しい祖国日本に育ち、今こうして生きて居れるのも、先祖の英霊達が、後の世に残る我々の為に尊い命を犠牲にして祖国日本の同胞を護って散って行ったからだ。

 

 生死を賭けて、守るべきものが無い男と云うのは悲しい存在なのだ。

 男なら仁義を通し、筋道を守り、道理を尽くして、己の分を弁(わきま)えてこそ一人前の男なのだ。

 

 2ちゃんねるに名前を名乗らずチンケな事を、いかにも鬼の首を取ったように書いてる「嘘つき野郎」に云っておく。

 俺で良かったら、いつでも相手になってやるので本名を明らかにして腹を括って掛かって来い!

 

 俺の悪口なら2ちゃんねるで反吐が出るぐらい書いてくれたら結構だ。

 

 しかし、いつも同じ名前の今弱ってる現役ヤクザの名前は書くなよ。

 弱い者イジメは、男として最低だと思わないか。

 

 俺は心身ともに鉄板と云われるぐらい強いので、俺で良かったらいつでも悪口を書け。

 但し、本名で書けよ。

 本名で書く度胸が無いなら、止めておけ。

 

 もう一度云う。

 自分の名前を正面切って名乗らない奴が、人の悪口を書く資格などないのである!

 男としての魂がないのに、男の生き様をどうこう云うな!

 

 ここまで私に書かれて腹の虫が治まらない奴が居たら、私に電話をして来れば良いのだ。

 

 その時は、お互い手が届く範囲で話そうではないか・・・

 断っておくが私は逃げも隠れもしない。

 昭和のガンコ親父がまだ、この世に健在して居る事を覚えておいてもらいたい。  

 

 最後に、天皇陛下弥栄(すめらみこといやさか)と唱和してペンを擱きたいと思う。

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コメント: 1
  • #1

    北九州の松田です。 (土曜日, 28 12月 2013 22:31)


     氏へ

     謹啓

     先日12月25日の午前中、初対面かつ急な電話にも関わらず、懇切丁寧な御対応をして頂きまして、誠にありがとうございます。
     体裁ではなく、今でも氏の声が耳や脳裏に強く残っている程、感動や畏敬の念等を非常に強く覚えました。

     さて氏の書かれた日記を拝読致し、某掲示版を覗き、また私なりの考えを記述致したのですが、本名を名乗らないどころか、本人と特定されないように第三者の携帯にて書き込みをしていると半ば開き直った公言を目にし、呆れる感情の次に悲しさに似た感情を覚えてなりませんでした。
     屋山 太郎氏著書「喧嘩の作法」にて、「まず己自身の名前や素性を明かす事が作法(男)である」との一節が印象的でした。
     生意気を言いますが、これは、氏の日記、そして、屋山氏の一節からいうところの、いわゆる「礼は国の幹なり」という言葉を思い出し、改めて脚下照顧を初めとする礼節を再認識させられましたので、ひとえに氏の日記に対しても感謝の念のみであります。

     これからも氏の御意見を初めとする多くの御意見等を、その状況の私なりに咀嚼もしくは換骨奪胎しながら吸収・勉強させて頂き研鑽を積み重ねてゆき、それらを活かしてゆきたいと金剛不壊の意思であります。

     本来ならば御手紙にて上記の私の考えを記す・体現化する事が条の理とは思っておりますが、この様なデジタルな文章にて失礼致します事を何卒御許し頂きたく御懇願申し上げます。

     どうぞ氏も、良いお年を迎えられて下さい。
     これからも何卒宜しくお願い致します。
     ありがとうございます。

     百拝

     平成25年12月28日
     松田

     補遺
     今の私なりに一字一句言葉を慎重かつに選び記しましたが、万が一失礼な表現がありましたら、何卒御許し頂きたく御懇願申し上げます。