菅原文太と秘密保護法 そして安藤昇・・・

左端が菅原文太、二人目が私と仲が良かった東映第12期ニューフェイスの旭洋一郎、右端が竹垣悟
左端が菅原文太、二人目が私と仲が良かった東映第12期ニューフェイスの旭洋一郎、右端が竹垣悟

 前回のテーマでもある「啓蒙主義」が今ひとつ理解出来なかったと指摘されたので、今回は更に筆先を広げて解説する事にした。

 

 私が掲げる「合理主義」と云うのは、「義理と人情」の世界の中で「人情」に流されず「条理」を尽くせと云う事である。

 

 条理と云うものを重んじて、社会の基本としなければ、無法者が増えて行くだけなのだ。

 

 無法者と云えば、法律が対極にある。

 

 その法律で最近少し気になった動きがあったので、ここに綴ってみたいと思う・・・

 

 久し振りにテレビに出て、秘密保護法反対を訴えて居る菅原文太を見た。

 

 何でもそうだが、この秘密保護法案には賛否両論がある。

 私は国民の知る権利と守秘義務が共立する今の日本国では、それが当然の結果だと思う。

 

  この菅原文太とは私が東映東京撮影所時代、若山富三郎の付き人をして居た頃、何度か一緒になった事がある。

 ・・・と云っても片やスターで私はと云えば、大部屋のしがない仕出し専門の役者だった。

 

 ついでと云っては失礼だが、ほとんどの人が知らない菅原文太ファンの、とっておきのエピソードを綴ってみようか・・・

 

 第一回目の主演映画は当初、待田京介主演で「恐喝の街」と云う題名(タイトル)まで決まって居た。

 

 このポスターを私は、姫路の大劇と云う映画館で諸石秀夫と二人でこの目で見たのだ。

 そのポスターには、小林稔持と石橋蓮司の名前も出て居た。

 

 この映画は待田京介も菅原文太の兄弟分役で出て居たので、役どころが双方変わっただけで共演者は皆、同じだったかもしれない。

 

 題名は「現代やくざ・与太者の掟」と変更され、監督は降旗康男のままだった。

 

 私が東映に入ってから後(あと)に聞いた話しだが、待田京介は鶴田浩二の派閥に連なり、菅原文太は山城新伍と共に若山富三郎一家の客分か代貸クラスだった。

 

 親方の若山富三郎が「俺はギャラは要らんから文太を男にしたってくれ」と俊藤浩滋だったかプロデューサーに云って、主役が交代になったと云って居た。

 

 若山富三郎はこの映画で珍しく「夜霧に消えたチャコ」と云う歌まで披露したぐらいだ。

 

 ・・・この映画が撮られて少し経った頃、私は沢彰謙(石井輝男監督作品の常連だった)の紹介で東映東京撮影所に入った。

 

 そして一年余り経った頃の事だ。 

 或る日、菅原文太が曽根晴美に「文ちゃん、その顔どうしたのよ・・・」と聞かれて居た・・・

 

 文太いわく「おっさん(若山富三郎の事である)が、いきなり物も云わず殴って来てこのザマだ!」と云って居た。

 

 理由は、文太が二日酔いで撮影所に来て居たのが、酒を飲まない若山富三郎には気に要らなかったらしく、文太は曽根晴美にそう説明して居た。

 

 私は若山富三郎から「文太にコーヒーを持って行ってやれ」と云われたりして居たので、ポットに入ったコーヒーを何度か持って行った事がある。

 

 若い頃ファッションモデルをして居たとかで、数多く居た役者の中では特に菅原文太のスタイリッシュ振りが目を引いた。

 

 菅原文太は、松竹映画に出て居た頃は高宮敬二(この人には私も世話になった)と一緒に安藤昇主演の映画によく出て居たのだ。

 この頃から反権力志向(違って居たらゴメン!)だったのかもしれない。

 

 この安藤昇と東映撮影所で何回目か逢った時、私が安藤昇本人に「安藤さんは頭が低いんですね」と、修羅場をくぐり抜けて来た人独持のオーラに恐縮して話すと、安藤は即座に「俺は馬鹿じゃねえよ。腰が低いだけだよ」と云った・・・

 

 いくら恐縮して話したとは云え、考えてみれば天下の安藤昇に失礼な言葉を発したものだ。

 無知と云うのは、この一件でも罪なものだと改めて思った・・・

 

 ・・・11月21日の夕方に、作家の山平重樹と姫路の日航ホテルのロビーで再会した。

 

 この山平重樹に「先生は法政大学を出たんやねぇ」と聞いたところ、以外な答えが返って来た。

 

 山平重樹いわく「安藤昇に憧れて法政大学に入った」と云うのだ。

 この一言で私は「フワッ」と山平重樹ファンになった。

 

 私も同じやくざな世界を歩いて来た者として、今でも安藤昇の潔い生き方に憧れるひとりである。

 

 男とは「斯(か)くありたい」と云うお手本のような人が安藤昇だと私は思って居る。

 

 余談だが・・・

 私が子供心に強く印象に残る映画のひとつに、安藤昇主演の「血と掟」と云う松竹映画がある。

 世に知れたヤクザの親分だった安藤昇が本を書いたばかりではなく、その本を原作にした映画にまで主演したと云うのだから、当時の人は一様に皆驚いた。

 

 それから少し経った頃だと思うが、評論家の大宅壮一が安藤昇を評して「男の顔は履歴書」だと何かの本に書いて居た。

  

 この安藤昇とは、お互い生きて居る間にもう一度逢ってみたいものだ。

 あれから長い歳月が流れたので、安藤昇も私のような若造は、もう覚えて居ないだろう・・・

 

 その頃の付き人は、確か狼プロダクションに所属して居ると云ってたなぁ~

 

 

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コメント: 4
  • #1

    空海 (土曜日, 16 8月 2014 14:11)

    感動しました。
    ありがとうございました。

  • #2

    はるな (月曜日, 25 8月 2014 06:57)

    安藤昇を30年位前、赤坂2丁目付近で見かけたが、彼のやくざものビデオを隈なく見てファンになった私はには、憧れの人であった。
    最近、表に出られないが、お元気でいてほしい

  • #3

    藤井貞好 (火曜日, 02 12月 2014 12:56)

    いい俳優が次々となくなって寂しく思う

  • #4

    東映東京撮影所 エキストラ時代の同期 旭 (木曜日, 25 6月 2015 22:56)

    タケちゃん 、久しぶりじゃん
    安藤さんの付き人は、たしか進藤だったっけ。
    男前の東興業て、顔してたなぁ。
    タケちゃん、東京に来たら一度再会しょうぜ。