女の顔は履歴書

東映大部屋時代、毎日のように撮影所で顔を合わせて居た梅宮辰夫。この梅宮は顔に切り傷を負い銀座の十仁病院で整形したと云って居た。そこの二代目院長だったのが小田晴彦だ。
東映大部屋時代、毎日のように撮影所で顔を合わせて居た梅宮辰夫。この梅宮は顔に切り傷を負い銀座の十仁病院で整形したと云って居た。そこの二代目院長だったのが小田晴彦だ。

 私は10月15日・午前9時39分発「のぞみ122号」で、花の都・東京に来た。

 

 12時43分に着いたので、東京駅からタクシーで六本木に向った・・・

 

 13時30分に、シェルクリニックの小田晴彦先生と約束して居たからである。

 でも運悪く台風26号が発生し、東京は大雨だった。

 

 嫁が美容整形をすると云うので、私も18日に開催された「野村秋介」の「群青忌」にあわせて上京したのだ。

 

 嫁は私と同級生なので、齢(よわい)は重ねて居るが水商売も役者の世界と同じで「見た目が大事」だとの持論を持って居る。

 だから現役の間は「美形」にこだわると云うのだ。

 

 水商売は客に色気を売るのではなく、夢を売るのが商売だと云うが綺麗事で云えば、この言葉こそ正鵠を射た戒直だろう・・・

 

 また私もそう云う教育を嫁にして来た。

 ここで極論を云えば、若々しく品のある「女性美」を求めて努力する女に私は畏敬の念を抱くのである。

 

 齢(よわい)を重ねても、若さを求めて努力すると云う姿勢は日本の伝統美を愛する日本人気質に合って居ると思うからだ。

 いや、美しさへの飽くなき追求は万国共通の理念であるのかも知れない・・・

 

 地元の姫路にも美容整形外科はあるのだが、手間暇かけて東京まで出て来て「美」を追求すると云うのは「主治医」小田晴彦の腕に惚れてのことである。

 

 私はこの先生に、手塚治虫原作の「ブラックジャック」を見る思いがするからだ。

 

 ・・・関東地方に台風26号が上陸と云う事もあり六本木は大雨だった。

 

 いつものように東京タワー下にある「とうふ屋・うかい」に小田夫婦と行く事になったのだが、今回はホテルにチェックインせず東京駅から直行で六本木に入ったので、スーツケースとか旅行カバンを持ったままだった。

 だから移動する時は小田先生の車に荷物を乗せて貰い「うかい」まで行った。

 

 「うかい」に入って直ぐ「長沢支配人」と逢い、お互いに再会を喜び合うような満面の笑みで迎えて貰った。

 

 この笑みが田舎者の私には嬉しい限りなのだ。

 

 人としての「所作」を含めて、美しい笑顔を後の世に残して行くことこそ、きれいに齢(とし)を重ねてゆく最良の方法であろう。

 

 

 私は人の心を含めて何事に因らず、劣化したものは嫌いなのだ。

 ゲテモノは子供の頃から食べないことにして居る。

 

 ・・・私は繊細な神経の持ち主で「美」への憧れが人一倍強い。

 だから男の所作も、女の立ち振る舞いも美しくなければいけないと思うのだ。

 

 私がブランドにこだわるのも、こんな美しいものへの憧れが、そうさせるのだろう・・・

 

 暴力団時代、東映ヤクザ映画も随分見たが、その時私が思ったのは格好の良いヤクザと云うのは何事にもスマートで、華があり弱い者いじめをしない事が第一条件だった。

 

 顔に品が無いのは、大体悪役と相場が決まって居た。

 

 男の顔と云うのは「男前」だとか「不細工」だと云う前に「品」が無ければ駄目なのだ。

 だから私は「男の品格」を養うために刑務所に入るたびに勉強して来た。

 そして行き着いた先が心身の鍛錬と、本を読み知識と教養を身に付ける事だった。

 

 男の修行こそ、男を磨く砥石だとの結論に達した。

 修行と云うのは苦しいものだが、途中で投げ出したら負けるのである。

 

 ・・・努力する、しないに拘らず、泣いても笑っても人生は一回こっきりだ。

 

 そんな人生に乾杯しながら三代目田岡一雄の座右銘、戦国時代の武将・山中鹿之助が詠んだとされる短歌「憂き事の 尚この上に 積もれかし 限りある身の 力ためさん」を書いて筆を擱きたいと思う・・・

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コメント: 1
  • #1

    nikonikobellic (月曜日, 21 10月 2013 22:59)

    竹垣悟の五仁會ブログにコメントを付けるためには竹垣悟本人に一度電話を入れて仁義を通さなくてはならない。