昭和遊侠伝・社会奉仕への道

天下の漫才師・横山やすしと義兄弟の盃を交わす竹垣悟。私が着ている紋付の羽織の紋に注目して頂きたい。これは我が家の家紋である。従ってヤクザとして盃をした訳ではない。
天下の漫才師・横山やすしと義兄弟の盃を交わす竹垣悟。私が着ている紋付の羽織の紋に注目して頂きたい。これは我が家の家紋である。従ってヤクザとして盃をした訳ではない。

 10月12日の朝、久し振りに三代目山口組若頭補佐・加茂田組々長・加茂田重政に電話して声を聞いた。

 

 加茂田重政は豪快を絵に描いた様な極道で、以前にも書いた事があるが、私が好きな極道のひとりである。

 

 加茂田重政のことは、いずれ昭和極道史として三代目山口組と共に語り継がれて行く事だろう・・・ 

 因みに私は今でも加茂田の事は、親分と呼んで居る。

 

 肝心な五仁會の事だが、五仁會は本来犯罪者の更生支援がメインだったが、世の中の流れを考え、私にしか出来ない社会奉仕と云うものを熟慮した結果、私の歩んで来た経験を活かして暴力団員の更生部門を取り入れる事にした。

 私なら暴力団員にとっても肌ざわりの良い更生指導が出来ると自負するからである。

 

 こうして私が選んだ「暴力団員と犯罪者の自立更生支援」だが・・・

 

 立ち上げてみると私の性格は何でものめり込むタイプで、どんどん奥に広まって行く。

 抜き差しならぬところまで自分を追い込む。

 

 典型的な凝り性である。

 

 先細りした短い命だが、私はひとつしかない自分の命を担保に、世の中の歪(ゆが)みと戦って居ると自分に云い聞かせて来た・・・

 

 子供の頃を振り返ってみれば誰しも同じであろうが、私は月光仮面に代表される正義の使者に憧れた。

 

 こんな私だが、青春時代から蹉跌(さてつ)の連続だった。

 

 石川達三著の小説ではないが私は、我が「青春の蹉跌」を今「矯正」して行こうとして居るのだ。

 

 こんな私の熱情で一人でも多くの暴力団員を更生させ、明治維新以来の新しい風が、この祖国日本に吹く事を願う次第である。

 

 現役の暴力団員には悪いが、いくらその組織に尽くしても時が経てば蜃気楼のようにその労力は虚しく消えていく・・・

 それなら「家族」や「友達」それに「国家」の為に尽くして行く方が「自分の為」にも「人の為」にも「「遠い将来の為」にもずっと良い事だろう・・・

 

 冒頭で話した天下の加茂田重政ほどの親分の事を考えても、やっぱりそう思うのだ。

 

 私は、こう云うハッキリした性格なので奥歯に物がはさまったような云い方をせず、何でも「ズバッ」と本音で物を云う男だ。

 

 私と義兄弟の盃を交わした天下の漫才師・横山やすしも私と似た者同士と云うか、矢張り私と一緒で何でも「ズバッ」と物を云う男だった。

 この天下のやっさんと盃を交わした男として、恥じる事のない人生で終わりたいと思って居る・・・

 

 話しは逸れたが、私は公務員ではないので給料を貰って、この活動をして居る訳ではない。

 

 まして議員でもないので報酬を貰って動いて居る訳でも無く、従って今はまだ何の名誉も無い。

 だが、ボランティア精神だけは人には負けないだけ持って居る、と云う自負がある。

 

 それにフロンティアスピリットも旺盛だ。

 

 ひとつだけ云うと、暴力団員と云うのは世の中の誰よりもボランティア精神が旺盛な人間が多いのだ。

 

 幡随院長兵衛を祖とする侠客道と云うものが、こうした人達の男気によって樹立して来たのである。

 

 私は篠田建市六代目山口組々長が、侠客になると産経新聞の誌上で明言した時は感激した。

 

 六代目が出所したその日に「暴力団は侠客になれ」と云うステッカーを私は車に貼り、走り廻った。

 

 それまでは「反社会主義撲滅」とだけ車に大書きして走り廻って居た・・・

 

 それが「政治団体・自由民政党」と云う、私が立ち上げたもうひとつの団体のスローガンであったのだ。

 この活動が認められて「五仁會」の認証が兵庫県から下りた理由のひとつでもあると私は今でも思って居る。

 

 要は「善意の活動」は、どれだけの期間続けられるかである。

 

 ・・・山口組が五代目の時、阪神淡路大震災が起きた。

 この時、五代目が先頭に立ち復興ボランティアを各組員に指示したと聞く。

 私は当時山口組組員だったので、その現場を目(ま)の当たりにした。

 結果、大きな活動となり神戸市民は助けられたのだ。

 

 その時マスコミは「山口組」の「売名行為」だと叩いた。

 

 それから山口組としてのボランティア活動が萎(しぼ)んで行った。

 

 私はこの時、世の為・人の為に、いくら大きな活動をしても単発なら世間は認めてくれないと思った。

 世間から何を云われようと一旦こうすると決めたら、それを遣り遂げなければ世間は認めてくれないのだ。

 

 ・・・その後、山口組からボランティア活動が萎んで行ったのは今の時代になってみると残念である様に思う。

 

 その時からボランティア活動を続けて居れば、暴力団と云う呼称も少しは変わったものになり、世間の見方も変わって居ただろうにと思うと残念でならない。

 

 私如き小さな人間が社会の声を集約し「悪いものは悪い」と正々堂々と訴えて居るのである。

 この小さな声が、やがては「日本の明るい未来」につながれば、これに勝る喜びはない。

 

 五仁會と云う組織が大きな輪となり、世の中に広がって行った時、明るい未来に輝く「新生日本」が誕生して居る事だろう・・・

 

 因みに人が死んだら通称ではなく本名が墓石に刻んである。

 私は古川真澄の位牌を作ってみて、つくづくそれを思う・・・

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コメント: 2
  • #1

    五仁會・青森連絡所所長 二階 利陸 (月曜日, 14 10月 2013 11:50)

    無頼な過去には確かに失敗、つまずき、挫折がありましたが、今「肥」となり着々前進です。社会貢献活動には開拓精神が必要不可欠と共鳴申し上げます。仁義の道を心得た有徳者には人心の和を持っているので、自然と助力する方が多くなると推察します。当所に於いて京刑に数名更生支援中、いずれ社会貢献可能になるよう育成中です。また、己も人生修業中でございます。会長のご指導宜しくお願い申し上げます。

  • #2

    神戸の日本男児 (水曜日, 16 10月 2013 20:27)

    会長
    応援してます!!
    毎日時間との戦いで頑張ってます。