もうひとつの鎮魂

五代目山口組若頭射殺事件の陰で散った男花

 

 私は今、暴力団員と犯罪者の自立更生支援と云う名の「特定非営利活動法人」を運営して居る。

 

 早い話が今の世の中から「暴力団」を無くし「健全で明るい街作りを目指して行こう」として居るのだが、世論も私が唱和する「暴力団は侠客になれ」と云う意味を少しずつ理解し始めて居る。

 だが「五仁會」としての肝心な成果がまだ「何も」見えて来ない。

 

 マスコミが云う「暴力団と社会の対立」と云う構図であれば、我々「五仁會」のような「非暴力団」組織が「民間」で「あとひとつ」ぐらい世の中に現れても良いと思うのだが、その気配さえ無い。

 

 これはどうした事だろう・・・

 

 ついこの間まで「暴力団」が怖くて暴力団に「みかじめ料」を払って来た人間も沢山居るのだが・・・

 

 私も「組員時代」そう云う類いのお金をシノギにして居た頃がある。

 

 しかし私は「義竜会」と云う暴力団組織を結成してから「親分」と呼ばれるようになって「みかじめ料」とか「守り代」は、義竜会の為に奉仕してくれる若い者に分け与えて来た。

 

 私が竹書房・バンブーコミック発行「荒らぶる獅子」第二巻の後書きに「竹中正久」は「みかじめ料」等は皆、若い者に分け与えて居た。

 そこら辺が「うだつ」の上がらない私達とは違うところだ・・・と書いたが実際はその当時すでに私は「ヤクザ」としての収入源である「みかじめ料」は皆、若い者に分け与えて居たのである。

 

 これが当時の私の謙虚さであり、少しでも竹中正久と云う親分に近付く早道だと思ったからだ。

 

 実際「竹中正久」と云う親分の生き様にどれだけ近付けたのか、今となっては語りようがない。

 

 私が堅気になった時、私に付いてほとんどの若い者は私と同じように堅気になった。

 そしてチョットだけ人より「やんちゃ」だが、一社会人として出直した。

 

 中には暴力団時代の「濡れ手に粟」と云う生き方が忘れられず、現役暴力団と密接な関係で付き合って居る者も「一人」か「二人」ぐらいは居ると思うが、こんな男は矢張り自立出来ない心の弱い人間なのだろう・・・

 

 少し心を強く持てば暴力団組織を抜けられるのに、その少しの「思いっきり」が無いのだ。

 

 懲役に行って「20年も30年も辛い思いをして、女房・子供を泣かせてまで暴力団に残る」と云うのは、どんな神経になって居るのだろう・・・

 

 少し前なら、それだけ魅力のある親分が居たので「この親分の為なら命を張ろう」と思った者も少しは居たが、肝心な親分と呼ばれる人が今は懲役に行こうとしない。

 

 出来れば「ヤクザとしての矜持を捨てても懲役には行きたくない」と云う親分が殆どになった。

 これは暴力団社会の崩壊を意味するのだが「反面」嘆かわしい事実である。

 

 懲役に行くような抗争事件を起こしたら組に迷惑を掛けるので、断じて抗争の指示はして居ない・・・と云うような事件の裁判があったが、結果「認定」され無期懲役の判決が下りた。

 

 この事件で懲役に行く若い者も可哀相だが、否認して親分としての器量を下げた者はもっと哀れで悲しい。

 

 自分の若い者に「無期刑」と云う懲役に落ちるように証言されたので尚更である。

 

 私は前にも書いた事があるが、若い者をヒットマンとして「抗争」に行かせる時(取り調べが)「苦しかったら俺の名前を云えよ」と云って、その若い者に特別目を掛け、その若い者がする事は全て目をつむって来た。

 中には覚醒剤の威力を借り、突撃精神を常に維持して居た若い者も居たが、それにも目をつむって来た。

 

 目的は抗争の相手を殺る為なので、ヒットマンで行く若い者の「緊張感」を維持する方法を私は「アレをするな、コレをするな」と指示出来なかったと云うのが本音である。

 

 中野会時代に「抗争事件」が起きたら自然にコンビを組むようになって居た「中野会々長代行補佐」をして居たひとりに加藤総業組長・加藤眞介が居た。

 

 この加藤眞介が(717日に)死んだと森本博保から電話があった。

 私はこの時、森本に「今もまだ現役かいな?」と聞いたが、森本は「今わしは堅気でっせ」と答えた。

 

 この一言で私は「加藤眞介の葬儀会場」へ行く事にした。

 そして加藤眞介の死に顔に手を合わせて来た。

 

 私は今の自分の立場を弁えて「葬式」は720日午前11時半からだったのだが10時過ぎに会場入りした。

 そして香典を受付けに渡し「焼香」して直ぐ会場の「金楽寺」を後にした。

 

 この時私は、宅見勝射殺事件で今逮捕されて居る財津晴敏の心がだいぶ楽になったと思った。

 人がひとり死んで不謹慎だが、私はそう思った。

 加藤眞介の男気からすると、財津晴敏に逃亡資金を援助して居たのは間違いないと私は「確信」するからである。

 

 宅見勝射殺事件で誰が一体何を得たのか・・・

 そして誰が何を無くしたのか・・・

 

 私はヤクザと云う生き物の「仏の世界」で云うところの「畜生道」と云うものが、この事件を通じて「より深く理解」出来たように思う。

 

 お釈迦さまが「大乗仏教の経典」で説く「般若心経」の真骨頂は「色即是空」の「空」の境地に達する事である。

 

 人間としての一切の「煩悩」を頭の中から追い払う事によって「欲望」とか「妄念」は消えると云うのだが「ヤクザ社会」に居て一切の「煩悩」を断ち切る事が出来るのだろうか・・・

 

 ・・・心に「煩悩」がある限り、人間と云うのは最後は哀れな存在で終わるのである。

                                  合掌

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コメント: 4
  • #1

    大西 誠 (金曜日, 06 9月 2013 22:35)

    会長の言っておられる「五仁會」のような組織が「民間」で「あとひとつ」ぐらい世の中に現れても良いと思うと言う文章ですが私はまず出てこないと思います。
    答えは結局は暴力団が怖いのと何をされるか解らないからです。
    「暴力団追放」と大きく言いますが、所詮は警察・マスコミが後ろ盾にいるからです。
    出てこないと言いながらも心の片隅には期待も・・・
    あと加藤さんがお亡くなりになったのはショックでした。
    話しが長くなるので書き込みしませんがまた一人男気のある親分がいなくなりました。

  • #2

    竹垣 悟 (土曜日, 07 9月 2013 11:24)

    世の中で一番怖い事は、自分の心の中にある弱虫が恐怖感として自分の心を支配する事です。
    おとことは、悠久の大義の為に立ち上がる本能を持ってこの世に生を受け継いで来たのです。
    自分の命さえ惜しまなかったら、この世に怖いものなど何も無いと云うのが私の持論です。

    人間とは弱虫の代表で、その中でも強い人間の下に弱虫が集団を構成して行くのです。
    私は暴力団時代、ピンからキリまでの組長を見て来ました。
    そこで私が悟った事は、今は暴力団のトップが好んで刑務所に行きたがらなくなったと云う事です。
    量刑も上がり、高額の賠償金も取られる時代になったからです。

    これが時代が要求する変換期と云うものです。
    国家は暴力団を無くし軍隊を作る方が世の中にとって有益だとの結論に傾きつつあるのです。

  • #3

    大阪 川島 (土曜日, 07 9月 2013 11:58)

    会長、犯罪者の社会復帰はなかなか難しいと思います。ましてや、暴力団となればその壁はさらに高くなるでしょうね。社会は自分に危険な可能性があるものを遠ざけるのは当たり前で、排除したいとかんがえます。その大きな壁が乗り越えられず更生出来なくなり悪循環へと繋がっていきます。東野圭吾さんの手紙という作品で犯罪者の弟が社会から受け入れられず苦悶する様子が描かれ映画にもなりました。弟役の山田孝之に彼が勤める社長役の杉浦直樹がたんたんと語るシーンが印象的で社会に受け入れられるにはすごく時間がかかる。けど一人ずつ味方を増やすことで社会との繋がりの細い糸を一本ずつ増やしやがて太い糸にしていくという語りがありました。少なくとも会長が今なされようとしていることは長い道のりかもしれません。失礼ながらご存命中には成し遂げられないかもしれません。でも糸は少しずつ繋がっていくはずです。私も会長のブログを拝見し、その覚悟、信念を受け取った細い糸の1人です。成果がまだ出ていないと仰ってますが必ずやその思いは届くと私は信じています。

  • #4

    竹垣 悟 (土曜日, 07 9月 2013 12:55)

    「念ずれば花ひらく」と仏の世界では云いますが、私も人の一念が世の中を動かすと思って居ります。
    ひとつの細い糸を繋げて行くには、誰かが先陣を切って難関を突破しなければなりません。
    勇気を持って立ち上がらなくては、糸は繋がらず門はひらきません。
    私の年齢からすれば、今上では私が掲げる「五仁會理念」を為し遂げる事は不可能かと思います。
    でも仮に私が凶弾に倒れる事があれば、それを合図に世の中の流れも変わるでしょう・・・
    私が自分の命と引き換えに、使用者責任と云う名の賠償金を勝ち得たら「五仁會基金」として世の中に役立つ基金として後世に受け繋いで行って貰いたいと思って居ります。
    正義の為に見る束の間の夢も、また楽しいものです。