山口組から38年振りに「機関紙」が発行された。
私の手許にあるこの機関紙(コピーだが)には「山口組新報・創刊号」と題してある。
司忍六代目は、産経新聞のインタビューに応えて述べた通り「山口組」が「裏(アウトロー)社会の住人」で終わらぬように、山口組綱領を「範」として自ら表舞台の「侠客」になるべき決意を表明したものが、この「山口組新報」であろう・・・
この機関紙を使った表現方法こそが、末端に至るまでの意識改革につながると私は思うのだ。
「巻頭の辞」に、山口組六代目としての決意の程が迸(ほとばし)るのである。
その「巻頭の辞」は、江戸時代の国学者・本居宣長が詠んだ「敷島の 大和心を 人問わば 朝日に匂う 山桜花」と云う短歌だ。
これは、大東亜戦争で儚くも散った「青年将校達」が好んで「バイブル」にし、当時の日本人の心を捉えて離さなかった短歌である。
海軍特別攻撃隊の名前もこの短歌から「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」と名付けられたくらい当時の日本人には多大なる影響を及ぼしたのだ。
この短歌の云わんとする事は「日本人の心を花に例えるなら、朝日に映える山桜のように潔いものだ」と云う事だろう・・・
国学者・本居宣長の短歌は私も好きで、愛国者なら誰でも一度は口にした事がある「大和魂の発露」とも云うべき心情である。
これで六代目山口組の確たる方向性が定まった。
田岡一雄を信奉する司忍にとって、田岡組長の悲願である「山口組綱領」を組織の精神的支柱にする事によって司六代目自ら、田岡三代目が果たせなかった「夢」を引き継ぐ決意を世間に開示したと云う事であろう。
すなわち田岡一雄が目指した「侠客」幡随院長兵衛を、司忍もこれから目指すと云う事に尽きるのだ。
日本人と云うのは侠客の祖と云われる「幡随院長兵衛」を見るまでもなく「弱きを助け強きを挫く」と云う「義侠心」が民衆の心を摑んで来たのである。
民衆の支持なくして組織の「大義」は古今東西、世に問えないのだ。
このブログには、正々堂々と名乗りを上げて投稿する人も居れば、名前も名乗らず「仁義も通さず」遊び半分で投稿して来る人も居る。
私は何事も真面目に語らなければ、自分自身を磨く事はおろか、人に相手にされないと思うのだ。
私にとって励みになる事を書いてくれる人は有り難いが、身元が分からない「?マーク」の付く人のコメントは、私は削除する事にして居る。
いくら私に良いコメントをしてくれても、一回匿名で書かれたら、次々と匿名投稿が入り、普通の2ちゃんねると同じようになってしまうからだ。
そうなったら何か事件に結び付くようなコメントの相手先を特定するのに必要以上の手間が掛かり、難儀すると関係者は云うのである。
これはその道の専門家に指摘されて居る事なので、ここでハッキリ断じておく。
匿名と、訳の判らない自分の主張をするのにこのブログを利用するなら、お断りしておきたい。
我々「五仁會」は「ボランティア活動」や「足ながおじさん」は歓迎するが「口先ばかりで電話もして来ず、手紙も出して来ない正体不明の人」は、仲間に加えようにも加えようがないので、その人のコメントは申し訳ないが消して行く事にして居る。
私はどんな人にでも仁義を切られたら、切り返すだけの男気を持って今日まで生きて来た。
時代劇ではないがその分、生死を賭ける程の覚悟をし、あの世に行きかけた事もある。
そのたび持ち前の度胸と運の強さで、自分の運命を切り開いて来た。
私は逢えば、その人がどんな人か大体の見当はつく。
人を見る目に関しては「目利き」だと思って居る。
親分・竹中正久が一和会の暗殺隊に襲撃された時、親分はその拳銃に素手で立ち向かって行った。
男の戦いとは背中を向けたら負けるのだ。
散って尚、花で終わろうと思えば親分・竹中正久のように「相手が阿修羅で在ろうとも我行かん」の心構えで生きて行かなければならないのだ。
武士道精神とは、大東亜戦争で云えば「特攻精神」であり、やくざ社会で云えば「侠道精神」なのである。
コメントをお書きください
蜷川です。 (火曜日, 30 7月 2013 12:48)
昨日、後輩の出版社の社長や作家の山平重樹さんたちと打ち合わせを兼ねて一杯やりました。皆さん竹垣さんの「ブログ」のファンになったようで、「筆力」があり、とても文章が上手とべた褒めでした。また、本日、私の機関誌と野村先生が生前に戯れに吹きこみました歌をCDにしたものをお送りさせて頂きました。ご笑納賜れば幸いです。暑い日が続いています。ご健勝を。蜷川拝
竹垣 悟 (火曜日, 30 7月 2013 15:15)
蜷川正大 二十一世紀書院代表様
早速のコメント嬉しく、何回も何回も読み返し、感激のうちに読み終えました。
野村先生のCDと機関誌を送って下さるそうで、楽しみにして居ります。
私は野村先生が唄う流行歌(うた)と云うと、小林旭の「さすらい」が野村先生の歌声と共に即座に想い浮かびます。
それに私のブログを山平先生に紹介して下さり、感謝感激です。
私は山平先生の本も好きで、たいがいの本は購入して読みました。
「人生は邂逅に尽きる」とは、まさにこの事だと思います。
奇遇な縁を有難う御座いました。
伊丹 大西 (水曜日, 31 7月 2013 23:23)
竹垣 様
遅くなりましたが今日は本当に有り難うございました。
何度かお電話させて頂きましたが、今日会長さんに初めてお会いする事が出来ました。
14時に会う予定でしたが遅れてはいけないと思い30分前には到着して時間を潰しご自宅近くに約束時間の2分前に電話させて頂きお会いする事が出来ました。
挨拶を交わしお電話で話されてる通りの話しやすいとても気さくな方で方でした。
お茶をしようと会長さんがたまに利用する手柄山にある展望喫茶店いきました。
駐車場が満車でしたので少し待ちながら色々と話しましたが無理でしたのでもう少し上にある駐車場に止めました。目の前が姫路市立水族館だったので、折角だからと言われ水族館に案内されました。
実は私、会長さんには言ってませんが大の水族館好きなんで嬉しかったです。
水族館の中でも色々話しをしながら見て周り、展望喫茶店に徒歩で向かう前に「太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔」に行き会長さんから説明を受け一礼し手を合わせました。
さらに立派な名誉市民の20年間姫路市長説明を受けた石見元秀さんの銅像も見ました。
本当に勉強になる説明を会長さんから受けました。
物凄く暑くて私も汗だくでしたが会長さんも汗だくで私の為に申し訳ないと思いました。
展望喫茶店でお話しさせていただきましたが今回は言っていいのかヤクザの話しをしました。
実は私の父親が三代目時代に叔父が何人かいますが五代目時代ヤクザをしていて今は堅気ですが何人か共通する人物がいてそこから色々と話しをしました。
勿論、五仁會の今後どうすべきか私なりの意見を言わせていただきましたが申し訳ない程度の話しです。
すみません。
あと私が引っ掛かったのが会長さんのブログ更新を昨日の夜に見て「えっ」と本当に声を出してしまう文章がありました。
それは
私は逢えば、その人がどんな人か大体の見当はつく。
人を見る目に関しては「目利き」だと思って居る。 と言う文章でした。
お電話で約束したのが昼間でブログを見たのが夜でしたので正直お会いした時に
「目利き」され「こいつ、アカンな」「こいつ、口だけやな」と思われたら、頂いた五仁會のバッジをお返ししようと思いました。
家を出るときにケースに入ってるバッジをポケットに入れました。
それをお茶してる時に会長さんに言いました。
本当にダメならお返しして、でも五仁會の活動には個人的に賛同していく腹は決めてました。
私は前に小学生程度の小遣いしかお金に余裕が無く寄付したんですが会長さんは
「金額やなく気持ちが嬉しいと」「面接的には・・・」嬉しくてあとの言葉が耳に入ってませんでした。
これで本当に五仁會の一員と会長さんは認めてくれたんやと、あとは五仁會会員の皆さんに学も力もありませんが認めてもらうように頑張りたいと思います。
喫茶店を出て駐車場に行くまでの間に会長さんが四年前に作られた会長さんおの言葉が入った扇子を「使ってたやつやけど」と言われ頂きました。
またまた私は嬉しくなり御礼をいいました。
会長さんの自宅前で挨拶とお礼を言い帰ろうとすると会長さんが「家にちょっと上がらへん?」と言われ厚かましくもお邪魔し会長さんの奥様に会い挨拶をさせて頂き
コーヒーをご馳走になりお暇しました。
折角の八月十日の日にお誘いの件、こちらの用事でお断りして申し訳ありません。
また必ず姫路にお伺いさせていただきます。
再度、今日は私みたいなものに時間を空けていただき有り難うございました。
私にとって最高な一日でもありいい勉強になりました。
今後とも宜しくお願い致します。
小学生の作文みたいになりましたが今日はお許しください。
たろう (金曜日, 02 8月 2013 01:18)
竹垣様 ブログの書き方は、体験談、自分の思想、そして自分の考え、今現在の世の中の流れ、風情 これにどう対処していくか、それに対しての自分の自分なりの言葉、最後はこの読みごたえのある文章に読者がしびれるんでしょうね。それが証拠に有名な物書きの先生達がこのブログを見て感銘受けたのでしょう。素晴らしいですね。相手も最大限にリスペクトしてコメントも素晴らしいです、男じゃなく侠としていろんな場面に遭遇して
たろう (金曜日, 02 8月 2013 01:29)
いろんな思いをされて今、侠から男に変わり わかりやすく、力強く 他人を魅了する文章、コメントがあるのでしょうね。私は思うのですが、このホームページからもっと大きな舞台に何かの縁で行かれると思いますよ。本当に頑張ってくださいね。 (文章が切れました申し訳ございませんでした)