無頼の果てに・・・

扇ひろ子主演の日活映画「博徒無情」「昇り竜鉄火肌」に憧れ「新宿ブルース」を思い出す竹垣悟
扇ひろ子主演の日活映画「博徒無情」「昇り竜鉄火肌」に憧れ「新宿ブルース」を思い出す竹垣悟

 現代社会の「歪み」とされる暴力団が生まれ変わって「侠客」になると云うのは、私の「浅はか」な考えだと一刀両断に斬り捨てられた。

 

 社会正義の旗を振ると云うのは現代社会に於いて、それ程むずかしいのだろうか・・・

 否(いや)、むずかしいから今まで誰も旗を振って来なかったのだ。

 そう云う気持ちは有っても時代が要求して来なかったからである。

 

 私は前回「東映仁侠映画に時代を重ねる」と題し、世の中が侠客だらけになったら痛快で楽しい世の中になると書いた。

 侠客になれと云うのは何も暴力団だけに云って居るのでは無い。

 

 超高齢化の現代社会を考える時、年寄りを労わると云う人情が無くてはならないのである。

 年老いた生活保護受給者が住める住宅を、国家がプロジェクトを組み建設して行かなければ、日本と云う国は老人介護施設だらけになってしまう。

 

 これを貧困ビジネスと云ってしまえば角が立つが、自活出来る元気な老人も居るのである。

 

 私は公明党ではないが、こう云う福祉の政策を実現出来るのは公明党のスタンスではなかったかと思うのだが・・・

 

 そう考えれば自民党と公明党は良いパートナーだと痛感する。

 これに維新の会と民主党の保守派が加われば、日本の政治も満更捨てたものではないだろう。

 

 日本の政治も昔の様に右か左になって来た。

 第三極などと云う、まやかしげな中道(グレー)は必要ないのである。

 

 現代社会に多いのは、現状の生活に「汲々(きゅうきゅう)」として、保身に走る人間が多様化した事だ。

 暴力団に限っては末端に行くほど金も明日の夢も無く、有るのは虚しさだけと云うのが現実のようだ。

 

 だから仕事をしたいのだが「現役ヤクザ」では雇ってくれない。

 しかし暴力団を抜けたら今までイジメて来た者に「返し」をされる。

 だから堅気になれないと云った声も聞く。

  

 山口組のトップクラスが私のブログを見て「六代目は早くから侠客を目指して居た」

 それに応えて「我々も意識改革をして行かなければ時代の波に飲まれる」と云ったとか・・・

 

 それはそうだろう。

 こう国策捜査が続き「指定暴力団員」と云うだけで「有罪」になる「判例」が続出すれば「一本どっこ」のしっかりした「弟」を10人でも連れて「侠客」になる方が、世の為・人の為なのである。

 

 日本の裁判制度そのものが、おおむね「裁判官の自由心証」に委(ゆだ)ねられて居るからだ。

 

 だから否認する者は「悔悛(かいしゅん)の情に乏しい」となり「裁判官の心証を悪くする」と云われるのである。

 

 今の時代は身柄を拘束されたまま否認裁判を長く続けるよりも「自分がしてしまった事を素直に認めて」裁判をスムーズに進めて行く方が得策であるように思われる。

 それにまた、執行猶予になり易くなるので事件の重さに因っては「是は是」として認めても良いと思うのだが・・・

 

 丸っきり「無罪」だと思っても被告人が暴力団員である限り、一般社会人の供述証言を重要証拠として採用するのが今の暴力団排除の機運なのである。

 

 私も前刑「2年」の懲役は現役暴力団員であり、否認で半年余り接見禁止の上、保釈も効かず「暴力団の行動倫理」と認定され、実刑判決を受けたのだ。

 

 私が堅気になって8年・・・の歳月が流れた。

 

 私は現役時代「3~4年持ったら良い方」で、娑婆と刑務所を行ったり来たりして居た。

 懲役に行く度に、私の率いた義竜会は小さくなって行き、社会的にも遅れて来た。

 私が実感した事だが、今も昔も懲役に行くヤクザは、その世界では遅れるのである。

 

 おとぎ話しの浦島太郎を引用するのはいささか飛躍しすぎだろうが、長い懲役に行くと錆(さび)が残る場合が偶にある。

 

 山一抗争を例に取るまでもなく、ヒットマンとして活躍して「懲役」に行ってる間に「バブル景気」が弾け、結局帰って来て待って居たのは「暴力団排除条例」だ。

 懲役に行って帰って来たら「のどか」な時代が過ぎ「汲々」とした時代になって居たと云うのでは「シャレ」にもならない。

 

 五仁會として私は社会正義の為に立ち上がったのだが「侠客になってんでっか?」と人に聞かれる。

 

 冗談ではない。

 この歳で侠客になって居たら、体がいくつあっても足りない。

 私は人が思う程、劇画的男ではないのだ。

 

 私は単純に、度胸さえあれば国家社会に貢献出来ると云う事を実践してみたいだけである。

 そして今の若者が私を反面教師にして「歪み」のない社会を作って行って貰いたいのだ。

 

 国民ひとり一人が明るく住み良い街作りをテーマに、地域愛と祖国愛に目覚めてみるのも粋狂であろう。

 

 私も暴力団時代、月に一回の総会では「山口組は侠道精神に則り国家社会の興隆に貢献せんことを期す」と繰り返し唱和して来た。

 この綱領を見る限り田岡三代目は事業をする者は堅気にさせ、山口組を少数精鋭にして自ら「侠客道」を目指した事が一目瞭然だ。

 

 今は三代目時代と時代背景も組長も執行部も、全てが違う。

 

 この違いが理解出来た時、六代目の産経新聞(2011年10月1日付)によるインタビュー記事を理解出来るだろう。