人生峠を越え、遠い旅路の終着駅と云うのは、何処か寂しく哀愁を誘う・・・
男の人生の旅と云うのは、なぜか孤独が良く似合う。
人が聞けば「息の長い話し」だと云われそうだが、刑務所生活の多い私にとっては、どんな遠い未来の事でも計画を立てて行く習慣が身に付いて居るのだ。
今日は、そんな「息の長い話し」をしてみたいと思う。
・・・私のファンだと云う人から電話があった。
私は、その電話に対して相手が期待する応対をしようと決めた。
こんな気配りが、ひとりでも多くの五仁會ファンを獲得する術(すべ)だと思うからだ。
そこで、馬鹿も「おだてりゃ木に登る」と云う実例を私みずから実践してみようと考えたのだ。
結果、調子に乗り過ぎたような感じで、四代目竹中正久親分を暗殺指揮した石川裕雄についての質問が出たのでそれに答えたのだ。
私は我が親分を殺した相手なので、こんな質問を私に聞くのは愚問だと思ったが、五仁會ファンになろうとする人に失礼があったらいけないと思い、この質問に答えた。
そして正直に「男だと思う」と答えた。
私はこの事件が起きた昭和60年当時・刑務所に居たが、私も石川裕雄と同じ様に(反対に)ヤマヒロを殺(や)れたら・・・と、その時期考えたからだ。
・・・昭和の「ヤクザ馬鹿」と云うのは刑務所の中でも、そう云う空想をして居たものである。
私は山本広が死んだ時、ヤマヒロの遺体を拳銃(チャカ)で弾いても「器物損壊」で当時の量刑ならせいぜい「3年位」だと思って、その機会を狙って居たのだが、結局ヤマヒロの「葬儀の場所」が特定出来なかった。
オーバーな表現だが「歴史に残る男」になり損ねた経験がある・・・
10年前の私なら、親分の仇なので決して認めないが、堅気になった今(大きな気持ちで世の中の出来事を眺めて見ると)正直「男だと思う」のだ。
そして「矢継ぎ早」に四代目暗殺事件に就いて聞かれたので、危うく「本音」の「しかし」と云う部分が出そうになったのでグッと気合を入れ直し「腹の虫」を抑えた。
いまでは私も色んな経験を重ねたので、敢えて云うなら「煮え湯」も飲めるようになったのだ。
そこで「気分を変えず・・・」相手方の質問に卒なく答えて話しを終えた。
私は電話を切る時改めて姿勢を正し、自分に対して気合を入れた。
相手に殊更「立てて」物を云われると悪い気はしないが、余り親しみも湧かない。
人と云うのは程良い距離で付き合うのが、友人関係を継続させる最良の方法だろう。
話しは「ガラッ」と変わって、ここで私が古川真澄の盃を受けて少し経った1998年の春先に聞いた話しをしてみようか・・・
当時宅見勝亡き後の山口組若頭補佐と云えば「マスメディア」受けする「話題必中」の役職で、それに相応しい伝説を持つ男が要職を占めて居た。
その中の桑田兼吉と倉本広文、それに古川真澄本人から聞いた三者の会話である。
何かの拍子に古川真澄が私に髪の毛の話しをしたのである。
この人は思いっきりハイテンションな人で、私が今まで出逢った人の中では断トツの「ハイ」な人だった。
山口組広しと云えども、天下の中野太郎と「五分」に本家で腰を上げて喧嘩をしたのは、この古川真澄だけなのだ。
話しが逸れた。
桑田兼吉が古川真澄の頭部を目線で追いながら「あんちゃん、植毛手術がええらしいで」と云ったそうだ。
その場に居た倉本広文も「相槌(あいづち)を打った」と古川真澄が云って居た。
そこで古川真澄が応酬して、桑田兼吉だったか倉本広文に「兄弟が先に行ったらワシも植毛に行くがな!」と応えたそうである。
その会話がずっと私の心に引っ掛かって居たので、自分の還暦の祝いに「植毛」をしようと思って居た。
・・・そして還暦が近づいて来た。
私は決めて居た通り、還暦を迎える前にNHT紀尾井町クリニックに相談に行き予約して「一昨年・2011年3月25日」に林光輝理事長に手術して貰った。
6,000本の自毛を植毛したのである。
そして1年余り後、五仁會発会式を迎えたのだ。
当然薄かった私の頭髪は赤ちゃんのように「還暦」を過ぎてから日毎に増え続け、手術は大成功したのである。
なぜ私がこんな事を書くのかと云うと、毎週読んでいるアサヒ芸能の連載に「ビートたけしの付き人・アル北郷」の「たけし金言集」で、頭髪に関するエピソードが載って居たからだ。
それから「落ち」を付けると、先週土曜日・5月11日に再度3,000本の植毛をしたのである。
もちろん林光輝理事長にして貰った。
私は背が高いので頭部の薄くなった部分は余り目立たないのだが、それこそ「縁」と云うものがあり、再度行く事になったのだ。
私は何事に対しても「念ずれば花ひらく」と云う考えの持主で、また今迄この言葉を信じて今日まで何とか無事に生きて来た。
今から10ヶ月後に、再度植毛した毛髪の成果が見えると思うのだ。
私は明日男として枯れるかも知れないが、何事も備えあれば憂いなし、と考える性格だ。
私の美学が遠くに見える夢を近くに引き寄せ、その夢を実現させるのである。
男とは、何事も途中で投げ出したら負けるのだ。
土俵際こそ地味だが「男の勝負どころと知るべし」なのである。
コメントをお書きください
勝正 (日曜日, 19 5月 2013 13:43)
竹垣先生おはようございます
私事ですが今から二十数年前に陸上自衛隊に入隊し赴任したのが姫路でした
さて最近よく考えるのですが、
頭領の資質とはなんぞや?
とゆうことです
昔に見た映画 「仁義なき戦い 」で
「つまらん連中が上に立ったから
若い者が苦労し血を流した」とゆう
ような言葉があった覚えがあります
つまらんとらゆうことが未熟者の私には
わかりません
ではつまらなくない者とは・・・
竹垣先生が思われる
頭領として必要不可欠な資質とは
何でしょうか?
竹垣 悟 (月曜日, 20 5月 2013 11:05)
頭領の資質とは、第一に率いる組織を時代の波に上手く乗せて行く運を持った人。
そして信頼して付いて行く限り、将来の展望を読み(これが先見の明と云うものです)その運を勝運へと繋げて行ける人。
最後に一流の人脈を持ち、それらの人を纏める能力があり「イザ」と云う時には部下の面倒を見れるだけの甲斐性があること。
強いて云えば、若い者が難儀して困って居たら頭領自らがその現場へ飛んで行って話を付けるだけの気概を持った男であることだと思います。
竹垣 悟 (月曜日, 20 5月 2013 11:30)
これは質問かどうか迷いましたが、敢てコメントします。
つまらん人間とは、読んで字の如くです。
では、つまらなくない人間とは・・・私は、世の中(人の為)に有益な人間である事だと思います。
勝正 (月曜日, 20 5月 2013 20:28)
竹垣先生ありがとうございます
なるほどと頷くことばかりでございます。
思えば私は今までの人生、我が身のこと
ばかり考えておったような気がします。
これからはもっと
家族の為はもちろんですが
世の為、人の為に有益な人間になれるよう
、つまらぬ男に成り下がらぬよう肝に
銘じてまいりたいと思います。
酔人 (木曜日, 13 6月 2013 13:52)
北山の石川さん…
新井さんはニコニコで13年…
矢野さんも不運でした…
「語り酒」という歌の詩がたまらなく好きです。