男の果ての夢を賭けて・・・
三島由紀夫は、大東亜戦争後の日本文学界を代表する作家の一人として、また「政治活動家」として「民族主義」を体現して、将来起こりうるであろう「祖国日本」の「怠慢堕胎」な時代を憂慮して自決した「憂国の士」である。
この三島が「三歎」たる思いに打ち砕かれたのは、憲法改正の為に「自衛隊」に決起を促したのだが、その「激烈」な思いは伝わらなかったからである。
余談だが「盾の会」同志と、市ヶ谷駐屯所へ殴り込みを掛ける車中・高倉健の「唐獅子牡丹」を歌って「士気」を「鼓舞」したのは、有名な逸話だ。
私は、この三島の信奉者のひとりで、三島の「哀悼の碑」がある志方町には時折「瞑想」に行くようにしている。
そして、三島の居る「冥土」に向って「今の時世」の姿勢を問うのである。
今のニッポンは、これで良いのかと・・・
そんな瞑想をしている時、私に「突如」として三島の声なき声が「魂」の声として聞こえるのである。
これが思い込みと云うやつだ。
三島が憂国の士だったがゆえの、思い込みの強さなのだ。
では、今から私の思い込みの激しさを綴って行く・・・
私は、いま祖国日本に対して大きな動きを促すのである。
そして、ペン先に怒りを込めて云うのである。
朝鮮半島が「南・北」一つの国になる為の犠牲はあまりにも大きいのである。
「実際」の「軍事行動」と云うのは「パレード」どころの騒ぎではないのだ。
戦争と云うのは過酷で歪な「人間」の極限の「尊厳」を傷付ける行為でもあるのだ。
私の云える事は国家間の戦争と云う愚かな行為は、何としてでも避けなければならないのである。 竹垣 悟
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