「親おもう 心にまさる 親ごころ 今日の音づれ 何と聞くらん」とは、幕末の指導者、長州は萩の吉田松陰の短歌(うた)である。
親とは有難いもので、どんな孝行者よりも勝る親心を持っているものだ。
・・・こんな事を考えながら、世の中の波に洗われ、人は成長して行くものだとつくづく考える。
心はニッポンの空に在って、祖国愛(悠久の大儀)に燃える大和魂の発露とでも申しましょうか・・・
所変わって私達夫婦は今、スロバキアの二トラにあるズラッティ・クルーチクと云うホテルに居る。
子供の頃より夢だったレース鳩のオリンピックと云うべき、世紀の祭典をツアーで観戦して居るのだ。
これを主催したのは私の20数年来の友人・吉原謙以知(チャンピオン社々長)だ。
もちろん世の為・人の為にと、純真な心で五仁會の発会式にも東京からわざわざ車で駆けつけてくれた。
友情に厚い男だ。
秦野章(元警視総監で法務大臣)と知り合ったのも、この吉原の主催するパーティーだった。
秦野が私と話してくれたのは2回目の時で、その時と翌年の2回一緒に記念写真を撮って居る。
私達の世代では子供の頃より伝書鳩ブームが起こり、多くの人がピジョンスポーツを楽しんで居た。
そんな頃私も、鳩の本場ベルギーに憧れ、オランダに夢を広げ、その夢が今こうして開き世紀の祭典に参加して居る。
憧れのベルギー・オランダを巡っての3ヵ国訪問をして居る最中なのだ。
私はいま、あらためて想い、こうして遠い祖国ニッポンの竹中正久の墓に向かって手を合わせ頭(こうべ)を垂れて居る。
私の先祖達、いや祖国ニッポンの英霊に対して手を合わせて居るのだ。
分骨が入っている墓へは、私の名前を体に墓石として刻んで居る息子の憲治が行って居る筈だ。
もちろん五仁會に名を連ね、忠臣蔵で云えば大石主税のような存在なのだ。
憲治が私所に丁稚(部屋住み)で来たのは20数年前だったか・・・
15年余り前に堅気にさせ、それからずっと同じ会社(現在では業界最大手の会社)で額に汗を流し一生懸命仕事をして居る。
縁とは不思議なものだ。
これをつくづく実感させる私との縁である。
この子も敢て云うなら、竹中正久の系譜に連なるのかも知れない。
般若心経を唱えながら、遠い異国より無心になって合掌する次第である。
癸巳 1月27日 竹垣 悟
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