或る女傑の死をみつめて・・・

私(竹垣悟)が書いた士道貫徹と云う字である。
私(竹垣悟)が書いた士道貫徹と云う字である。

 平成25年が私の場合、喪中のまま明けたと思ったら、今日は早十日えびす。

 

 昨年11月23日に嫁の母が97歳で鬼籍に入ったからです。

 この時、長生きするのもしんどいなと思ったのも事実です。

 

 生きると云う事は楽しい反面 、辛い事の方が多いように思うからです。

 辛抱と云う字に翻弄されながら生きて行くのが、勝ち残りの人生につながると云うのを徳川家康の遺訓が教えています。

 

そう云う面では、名月赤城山の国定忠治を含めてやくざ者の末路は大体哀れなもので

志半ばに、桜の花の様に散るのが男の華とでも云いましょうか・・・

 

 江戸時代の国学者、本居宣長は「敷島の 大和心を 人問わば 朝日に匂う 山桜花」と云う短歌を残しています。

 

 歳月人を待たずとは良く云ったもので、流れる川の如く暦が変わって行きます。

 過ぎ去った日を振り返ると懐かしく、又ほろ苦いビールの泡の様な思い出もあります。

 

 現役ヤクザのブログなら、私が竹中正久の盃を受けた翌年の昭和55年の今日、世に云う姫路事件の緒端となる事件が起こりました。

 ・・・となるのでしょうが、私は今、堅気です。

 

 堅気の私が、語るもおこがましいですが、むかし一人前の極道を目指して居た頃の話をしてみたいと思います。

 

 その頃私が世話になった一人に、中山きよみと云う女傑が居りました。

 

 この人こそ竹中正久の(内縁でしたが)れっきとした嫁だった人です。

 私達若い者は皆、姐さんと云って慕ったものです。

 

 竹中武は我々と話す時、この姐さんの事を姐御と呼び例えば姐さんの事を話す時は「姐御が云うとんねんからしょうがないやろ、そうやろがい」 と云っておりました。

 

 侠客と呼ばれた人は、受けた恩義に命を賭けたと云いますが、私も堅気になって七年が過ぎ、そこまでの激しい情念は消えました。

 せいぜい、川でおぼれている子供が居たら水の中に飛び込んで助けようと云う惻隠の情が残っている位でしょうか・・・

 

 安土・桃山時代から江戸時代に入った頃、関が原の合戦や大阪夏の陣等があり、武士道精神を残したまま浪人になった人が多かったようです。

 浪人であっても武士道精神を心に宿して、強きを挫き、弱きを助けたものですから、その人達を男の中の男・侠客と呼んで当時の弱者の代表であった庶民は慕ったそうです。

 

 その筆頭が侠客の祖と云われた幡随院長兵衛でしょうか・・・

 前置きが長くなりました。

 

 中山きよみと云う姐さんが九日に亡くなったと聞き、十日の通夜に行って焼香して来ました。

 その時久し振りに竹中正と逢い話しました。

 「どないしとんどいやぁ~」と竹中正独特の語り口で声を掛けられると、懐かしさの中に戦友のような感情が交差したのでした。

 

 山一抗争と云う大戦(おおいくさ)を身近に共有した私達にとって、私が兵隊なら竹中正はさしずめ上官のような存在だったからです。

 

 通夜の席で、姐さんの八十有余年の生涯を私なりに見つめ直してみると竹中正久と云う親分の陰になり、陽の当たらない所で親分を支えた立派な姐さんだったと云えるでしょうか・・・

 

 これもひとつの時代の終わりかもしれません。

 姐さんと竹中正久、それに竹中武・竹中正の四人が徹夜で麻雀をしていた姿が懐かしく思い出されます。

 

 竹中正久自身、博徒だっただけに、弟や嫁とも真剣勝負でバクチをして居たのです。

 竹中一家のようにイカサマのない人生を送った人達も姐さんを含めて、侠客と呼んでも差し支えないのではないでしょうか・・・

 

 俺は堅気やのにと、改めて思い直す今日此の頃の私です。 合掌  竹垣 悟  

   

 

 昨日(1月17日)発売の週刊実話「1月31日号」を見て驚いた事・・・

 

 姐さんの通夜の帰り、竹中正に「どないしとんどいやぁ~」と云われたまさにその瞬間を、週刊実話の記者が写真に撮って、今回の記事に載せて居るのです。

 

 写真を見ると竹中正の私への親近感がよく出ているので、よりリアル感のあるスナップなので驚きました。

 

 竹中正の今回の写真を見ると、ハワイ事件で無罪になって帰国した時に週刊誌に載って居たスナップ写真とオーバーラップしてなりません。

 実話の記者がこのブログを見て居たら、この写真を記念に私の所まで送ってくれたらと思います。

 

 私も五仁會関係で良かったら、記事になるフォートを提供しまっせ。

 

 それとこれは関係ないけど記事になって居るので云いますが、山口組の先人に対する敬意は私達堅気も見習わなければと思いました。

 

 これはヨイショじゃなくて、人の道として当然の事だっせ。

 云うとくけど、私は断固暴力団反対の声を上げてる人間やからね。

 

 私の性格は誰に対しても是は是・非は非と云える事です。

 これが素直で単純な「何々馬鹿」とでも云いましょうか・・・

 私の取り柄のひとつだと思ってます。

 

 義理が廃ればこの世は闇だと人生劇場で村田英雄が歌って居ますが、まさしくこの通りでしょう。

 違いますやろか・・・                    竹垣 悟                    

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コメント: 1
  • #1

    頼安美佳 (月曜日, 19 8月 2013 00:35)

    突然すみません

    私は血の繋がりはありませんが、子供の頃にきよみさんをおばさんと呼び可愛がって頂いた者です。

    私はきよみおばさんが亡くなったのを知りませんでした。
    父は正久おじさんとは従兄弟で、私が子供の頃に会ったのがおばさんとは最後でした。
    チワワのおばさんとの記憶と可愛がって頂いた事への感謝は今でも残っています。

    父もおばさんにはお世話になりました。
    そう生前話をしていました。
    その父も数年前に亡くなり、色々な事が遠くなってしまいました。

    知らない方にお聞きするのは失礼と思いましたが、もしお墓の場所が分かるなら教えて頂けますか?

    親戚から聞けばいいのでしょうが、何故と聞かれるのも答えるのも難しく。

    もし、ご存知でご迷惑でなければ教えて頂けますか?

    私のメールアドレスです。
    ご迷惑なお願いだと思いますのでそのままでも当たり前だと思っています。
    本当に知らない方にいきなりのお願い申し訳ございません。

    rosehotel-0405@docomo.ne.jp