暴力団から侠客にと願う国民感情

 五仁會発会式にて「姫路から暴力団を無くさなければならないのです・・・」とスピーチして会場を盛り上げてくれた「自民党・竹中隆一議員」の後援会総会と忘年会に、12月7日・私の実兄や息子夫婦と出席した。

 

 竹中隆一議員は、地域の活性化に力を注(そそ)ぎ、姫路市を更に格調高い世界文化遺産都市として、観光と福祉が充実した街づくりを目指して行きたいと云って居た。

 

 12月11日には、熱血刑事だった飛松五男が代表を務める「飛松塾」の「黒田官兵衛を語る」と云うテーマの講演討論会に出席した。

 

 レギュラーゲストに「一水会・鈴木邦男顧問」ゲストに「作家の柳谷郁子女史」を迎えての、姫路市にとっては意義のある講演だった。

 

 飛松塾長は今テレビ番組でも売れっ子のコメンテーターとして活躍して居り、旬の話しを上手く切り出す論客である。

 今回飛松塾に参加してみて、姫路から久し振りに有名人が育ったと思った。

 

 飛松塾長は元刑事だが「いつの時代でも世の中には必ず必要悪(侠客)と云うものが存在し弱者を助けて来た」と云うのが持論のようで、著作を読んだ限りは姫路の街も四代目・竹中正久の時代は「安全・安心の街」を地で行って居たと書いて居る。

 

 私も当時を振り返ってみれば、つくづく姫路の繁華街は活気があったと思う。

 そしてほのぼのとした情緒が、まぶたの奥から今にも飛び出すように甦って来るのだ。

 いま問題になって居る悪質なキャッチや強引な呼び込み等ひとりも居なかった・・・考えてみれば、のどかな時代である。

 

 飛松塾長いわく、むかしのアメリカにはキッシンジャーと云う名外交官が居たが、姫路にもキッシンジャーに負けず劣らずの竹中正が居たと云うのである。

 この竹中正は巷ではキッシンジャーをもじって、マッシンジャーと呼ばれて居た。

 

 私はこの竹中正と近かったので、繁華街の人から直接まわっさん(竹中正)は魚町の保安官みたいな人やと聞かされた事が何回かある。

 

 姫路が竹中組一色(いっしょく)の時代は何でも竹中正に相談事が行き、竹中正は無償で色んなトラブルを解決して居た。

 だから堅気の竹中ファンが多く、姫路の飲み屋街も潤って居たのだ。

 

 その頃の暴力団はヤクザ料金と云われるぐらい一般人より高い飲み代を払ってまで、綺麗に遊んで居た。

 男を売るなら花街で売れと、私たちは教えられて来たのだ。

 

 時代もそんな男気を求めたのである。

 

 それを久し振りに飛松塾で聞けたので、二次会にも参加した・・・

 

 その二次会で、元山健組の本部長だった片岡昭生と同じテーブルの横に座り、いろいろ雑談した。

 

 この片岡は、五代目山口組時代は山健組から店子(たなこ)として毎月一回山口組本部へ出向き、渡辺芳則と忌憚なき話しをして居たそうだ。

 私は片岡昭生とは妙なところで縁があり、二次会が終わって神戸へ帰ると云うので車で送って行った。

 

 私はこの片岡に「世の為・人の為に一緒に頑張ろうやないか」と云ったのだが、今やりかけた事があるのでもう少し待ってくれと云う・・・

 堅気になって13年も経つのに、そろそろボランティア活動を開始しても良いと思うのだが・・・

 

 片岡には帰り際「私が盃をしようと云って盃を渡したのに、その盃を返されたのは世の中広しと云えども、あんただけやで」と云うと「そんな事云わんとってえなぁ~」と云うようなジェスチャーをされた。

 

 何年か前の話しであるが、それぐらい当時の私はひとりでも多くの人材を集め、侠客(サムライ)を目指して居たのだが、今まさにその侠客(おとこ)魂が国家への奉仕と云うかたちで実りつつあるのだ。

 

 12月12日には作家の山平重樹と姫路で交友の場を持った。

 

 私は、この山平重樹に竹中武の生き様を後世に残して貰いたいとの願望がある。

 今回は、そんな私の願望に興味を持って来てくれたのだと思う。

 

 あとは、どう云うかたちで進むかは書き手にしか分からないが、私としては「のっぺらぼう」な物語りより、スピード感のある起伏が激しい、それこそ竹中兄弟を地で行くような激情の人生を描いて貰いたいと思って居る。

 

 余談だが、山平重樹と御着の竹中正久の墓参りをして、その足で私が中部霊園に建てた竹中正久や私が率いた義竜会々員が眠る五輪塔、それに田中河内介と私の母が入っている墓にも参拝した。

 

 その霊園から竹中正の入院して居る姫路日赤病院は近いので、ふたりで見舞いに行って少しだけ世間話をした。

 私と山平重樹が見舞いに行ったので、竹中正は饒舌に話し掛けてくれた。

 

 私も竹中正がまだ元気な内に、病院に顔を出して色々勉強しに行きたいと思って居る。

 

 先人の経験を聞き、人格の向上を図る・・・とは、云い得て妙である・・・